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ワンピースを着た男には、なぜ違和感を抱くのか。

 話がごっちゃになっていないだろうか。
 LGBTQは恋愛対象の話。(恋をしてもしなくても)恋する対象に性別は関係無いよねということ。それ以上でも以下でもない。
 それでも、恋をするのは異性に決まってるだろ、という考えの人にとっては理解不能だろうから、違和感しか無いだろう。

 話を簡単にするために、女が好きな男Aと、男が好きな男Bがいるとする(偏見承知で)。男Aから見た場合、男Aが正常で男Bは気持ち悪いと感じる。立場を変えて男Bから見ると、男Aが女が好きというのを聞いて気持ち悪いとは感じないが、自分は社会的なマイノリティーだと感じる。

 多数派から見ると、理解できない事は気持ち悪いと感じ、少数派から見ると理解できない事はただの違いと感じる。
 これは、全体に占める割合が少ないモノは異常だという論理が、多数派の中に無意識のうちに働くからだろう。それが高じて、理解できないイコール異常となる。しかし逆に少数派から見ると、本当は多数派こそが異常だと強い気持ちを持つのは難しく、自分たちが普通ではないと思いがちになるのだろう。あるいは、多数派も少数派も等しく人間だと思いたくなるだろう。

 ここまでの話で、感情と論理と倫理がごっちゃになっているのがお分かりだろうか。
 好きや気持ち悪いは感情、多数派、少数派、異常、は言葉の定義という論理、人間は平等というのは倫理。
 
 
 気持ち悪いという感情は自然発生的でありながらも社会性の影響を受けた感情ということになる。たとえ男が男を好きになるのを理解出来なかったとしても、理解出来ないというだけに終わらず気持ち悪いと感じてしまう。それは理解出来ない自分が多数派にいるという認識がある場合に起こることではないだろうか。多数派だから堂々と気持ち悪いと思うことが出来る。多数派と意識しているいないに関わらず。

 ここで、生物としての繁殖の話を持ち出すと、また少しややこしくなる。
 気持ち悪いと感じるのは生物として異常だからだ、と。本能で分かるのだと。
 この様な論理は案外良く聞くがエビデンスは無い。生物は繁殖することを最優先に設計されているという暗黙の前提を本能と呼んで肯定してしまっているからだ。

 何故気持ち悪いと感じるのかについてはこれ以外にも色々な理屈付けが出来るだろう。少数派が異常なわけではないという理屈付けも種々あるだろう。
 どんな理由を付けるにしても、誰が誰を好きになっても自由、というのはそれとは別で、倫理の問題だ。

 同性婚は制度の問題。夫婦別姓も制度問題だが同性婚とは全く別の話。
 女性の社会活躍は表向きは制度や倫理の問題。ジェンダー平等も制度や倫理の問題だけれど女性の社会活躍とは違う観点。

 何かの問題をスッキリ整理するのが難しいのは確かだが、あまり色んな要素を詰め込みすぎない方がいい。

 で、ワンピースを着た男には、なぜ違和感を抱くのか。

おわり
 
サムネ画像出典
ブローレンヂ https://blurorange.jp/smp/
 

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