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議論は難しい?

戦争状態でもない限り、出来ることなら対立を避けたいと思うのは人の道理であろう。戦争状態だったとしても積極的に戦争を継続する理由は無く、出来ることなら戦争を早くやめてしまいたいと思っているかもしれない。戦争の場合の終わり方は一方的なものになりがちだが。

議論というと、テレビ画面の中で繰り広げられる終わりのない言い合いや、国会で行われている結論ありきの中で揚げ足取りをする舌戦をイメージしがちだ。この様な悪しき例を見せられすぎているから、一般庶民の間で議論をする場面というのは、てんで現れない。
ともすると、議論というのはああやって相手の言っていることを遮るような言い合いをして騒がしくすることだと誤解している人が多いかも知れない。

そのせいなのか、私が議論を吹っかけようとしても、相手にしてみれば何だこいつは喧嘩腰で食って掛かってきやがるというかのように態度を固くしてしまうので、こちらとしては益々頑なになるといった具合だ。これでは議論にならない。

私が議論を持ちかける時は、何も対立の火に油を注ごうとか、平和な海に荒れ狂う嵐の高波を作ろうということは全く意図していない。
人と人はみんながみんな考え方や意見が異なっているという前提に立てば、各自対立関係にあるのであって、自ずとどこかで共通認識や同じ方向性を持たざるを得ない場面がやってくる。
そうなった時にどうやって見る方向を一致させるか。
恐らく多くの人は、これまでのしきたりや慣習、前例といったものを参照しながら、その場の空気を読み合うことで何となく調整するといったことをするのだろう。もしくはオレに付いてこいというような強権的な誰かが登場して半ば強引に切り開いていく道に付いていくみたいなことになるのだろう。
私もえてして付いていく人の一人であったりする。

しかし、本当の私はそんな場面で議論をしたいところなのだ。
話し合いで決めるといったような温いものではなく、侃々諤々の議論を交わしたいのだ。
ところが、ここで問題なのが、たいていの人が抱く議論に対するイメージが冒頭で挙げたようなテレビ演出的なものであるがために、実に煙たい目で見られるだろうということだ。

議論は、真逆の意見を持った人が2極に分かれて言い合いをすることではない。結局答えが見いだせずに時間の無駄に終わるただの意見の述べ合いではない。
議論とは、意見の異なる人達同士が一緒になって、お互いに合意出来る部分を見出すために行う建設的な話し合いのことだ。どちらか一方が言い負かすことでも無ければ、批判・避難合戦でもない。

議論の場で重要なのは、事実と意見と論理だ。
事実に基づいた議論をするというのは意外に難しい。何となく誰かに聞いたことやテレビで見たことを事実として用いるには、聞いた話だが、という注釈がいる。どこかに記載されていた事実、、を提示したつもりが、相手がそれとは正反対の意味の事実を提示してくることも有り得る。事実というのは見る角度で違ったものにもなりがちだ。
まず何らかの事実があったとして、次に来るのが、私はこうした方が良いと思うという意見の提示だ。もしくはこのデータを私はこう読むという意見かもしれない。意見を相手に押し付けるのではなく、場に提示するというスタンスが肝要だろう。
そして、論理的に話をするというのも案外難しい。話しているうちに熱を帯びればいつの間にか支離滅裂なんてこともよくある。

そして最も重要なのは、意見とそれを述べている人の人格は別のものという認識を持てるかどうかだ。あなたの意見と貴方自身は違ったもので、私の意見とわたし自身も別物と思えるだろうか。この区分けが出来ないと、自分の意見に固執し、自分と違った意見の人を攻撃したり恨んだりしがちになる。それの行き着く先は感情的な言い合いだ。これでは議論にならない。

人の話を聞くことが大切だと言われることもあるが、これだけだと議論においては不足だ。聞くだけでは駄目だからだ。聞いて咀嚼した上で両者にとっての正解は何かという話に繋げていかなければならない。
相手の意見を潰しにかかるのも議論ではない。とにかく議論は対立関係を強化するものではないからだ。

つまり議論は、参加者が協力して新たな進路を見出すことを目的に行われなければ意味がない。
みながみな勝手気ままに意見を述べ合うのでは議論にならない。
少なくとも議論を通じて何を見出そうとしているのかということくらいの共通認識が持てる人でなければ議論に参加する資格がないのかもしれない。

だから、議論というのは感情的になる会のことでも無ければ、無理やり意見を絞り出す場でも無ければ、退屈でつまらないものでもない。
議論は、頭をフル回転させて、みんなでより良い道を探すという実に楽しいセッションの時間なのだ。

と、私は妄想している。

おわり


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