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おっさんブランド

 自分を含め、最近やたらと自分のことを「おっさん」と呼ぶおっさんを見かける気がする。しかもどこか自慢気というか、おっさんであることを誇りに思っているというか、少なくとも「おっさん」としての自分をある種のブランドの如くに扱っているように見える。
 つまり「おっさん」のブランド化だ。

 揶揄したいのではない。
 これは良い傾向だ。
 とかくおっさんは煙たがられ、社会的地位も家庭内的地位もおとしめられがち。ダンディなオジサマとは訳が違う。
 しかし「おっさん」達はそんな社会の空気に抗って復権を試みているのだから、その勇気たるを褒め称えなければならない。
 おっさんは懸命に生きているし、何か悪いことをしたのでも無い。偉大な存在として崇めてくれというのではない。

 「おじさん」ではなく「おっさん」なのは何故だろうか。自称する場合、確かにおっさんの方が親しみやすさを感じる。「じ」という濁った音を省略することで、固さが和らぎ距離が近くなる感じがする。ダンディさは無くなるが身近な距離感になる。可愛らしさすらある。もともとダンディさなんて無いのだから、せめて可愛げ路線で行こうということか。

 しかしこれも、自分で自分のことを「おっさん」と言う分には良いが、他人から言われると良い気持ちはしない。
「オイ、そこのおっさん」などと言われたとしたら急にきな臭くなる。女子に「ねぇねぇ、おっさん」と言われたら違和感しかない。
 かと言って、「オレ」の代わりに日常的に使うようなものでもない。これ食べる?と聞かれて「おっさんはいらない」などと言ったりはしない・・・。
 いや、言う人もいるのかもしれない。
「おっさんが思うにさぁ」なんて言う人もいそうだ。

 言葉には賞味期限があるから、耳に馴染み切っていない新鮮なうちは何やら新しい意味づけがされているように感じたりもするが、皆が使い始めると直ぐに慣れてしまって希少価値は激減するものだ。
 おっさんが可愛いなんて言っているのも、おじさんと言うより親しみ易いと言っているのも時間の問題だろう。

 目上の人を敬いなさい、と歳を重ねるだけで無条件で自動的にレベルアップされた時代は遠く過ぎ去り、あなたの培ったスキルはなんですかと聞かれたときに目に見える形で示せなければレベルゼロからやり直し。
 自ずと、年相応の振る舞いをしなければと自戒する機会も減り、何とかして世界にへばりついて、挽回のチャンスをうかがう年代。

「おっさん」が賞味期限切れになっても、おっさんロスは問題だと言われるくらいには利用価値を維持する必要はある。しかし、働きなさい死ぬまではと言われて働くほど従順なわけもなく、衰える体力に抗い続ける毎日。

 アンチエイジングはじめ、とりわけ若いことが良しとされることが多い気がするが、胸を張っておっさんブランドを推進する人達を応援したい。

おわり



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