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人事異動ほど無駄なものはない

 春先になると、各企業では人事異動の発表が出されて社内の各所がざわつくのが恒例行事になっている。そして今頃、辞令を受けた本人は四月一日の着任を目前に準備を進めていることだろう。

 特に大企業で一般的なこの風習こそが、現代日本の発展の妨げになっていると思っている。人事異動はある種のリセットボタンであり、業務の継続性を断つばかりか、引継ぎ業務というなんのプラスにもならない形式的な作業に時間を取られる。さらに異動先では、新たな人間関係構築からスタートすることを強いられる。人事異動は企業の生産性を低下させることはあってもその逆は無いと思うのだ。

 人事異動制度を成立させているのは、言うまでもなく終身雇用思想と総合職ジェネラリスト採用だ。終身雇用思想は一企業の制度の話ではなく、日本国の制度として全土に浸透している。正社員に対してはいわゆる首切りが出来ないような法制度になっている。その歪みが非正規というヘンテコな仕組みにあらわれて、国家的な差別と虐めが行われている。

 一方で正職員は希望していない転勤(勤務地変更)を強いられ、人事権保持者はその権限をちらつかせることで権力を維持している。全体が終身雇用思想制度になっていて労働力の流動性が乏しい世界では、職員は辞めたら最後、職にあり就けない可能性があるから異動を飲まざるをえない気持ちになる。

 もっとも、いつでも上司の馘の一言で雇用される人が守られないアメリカのような仕組みが日本にとってベストかと言えば決してそんなことは無い。アメリカ式やヨーロッパ式を取り入れるにしても、雇用だけではなく社会全体の発想シフトが無ければ上手いかない。

 とはいえ、何となくそういうものだからという理由だけで人事部や管理職が毎年転勤対象者を絞り込む作業を行うのはナンセンスだろう。総合職にいろいろな経験をさせるためというのは表向きの理由であって、異動が必要な理由の根源は配属された者への不満にあるのだ。そもそも仕事に向いていない人が一定程度いる前提で採用しているから仕方がないし、人には相性だってある。
 片やその仕事をするのに適した能力を備え、やる気もあって実績を上げている人を異動させるのはマイナスでしかない。

 同じ社内でのキャリアアップは人事権者に握られていて、個人ではどうしようもない。定期面接で希望を聞かれたところでそれが叶う訳でもなく、限りなく無限に近い組み合わせとシャッフルの末に春の異動が決められている。転職によってキャリアアップ出来る環境があれば、そんな人事的無駄を省けることになるし、寧ろ社会経済的なメリットは大きいのだ。ただし、そんなに何度も就職活動するのは面倒くさいし、キャリアとか考えるのだって鬱陶しいという人にとっては酷になる。
 逆に言えば、日本の特に大企業では何も考えなくても目の前に与えられた作業をこなすことを仕事だと思っている人が大半で、また、そうせざるを得ない状況になっていると考えれば、労働力の多くが日本を駆動する力にはなっていないのだろう。

 安定が何よりも大切だった時代から、人口が減ってひとりひとりが駆動力を持たなければならない時代に突入しつつあると思うと、そろそろ人事異動制度や終身雇用思想、ひいては新卒一斉採用から脱却しなければならないと思ったりしている。

おわり

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