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大学に対する考え方を見直したい

 これまではそれでも良かった、なんて言うとズルいと思われるだろうが、世界の中で日本の大学生の知能レベルがヤバいことになっているのを何とかしないといけない。
 これは東大ですら世界29位であることを嘆いているのでは無く、およそ大学生と呼ばれる学生の卒業時の知能レベルか高校生と大差無い様に見えることに私が勝手に落胆しているのだ。

 日本の場合、大学が仕事のためのスキルを身に付ける場所という考え方は無かった。コミュニケーションを磨き、人脈を作り、バイトで稼ぎ、そして大いに遊ぶ。社会人になる前の息抜き期間として大切だという考え方の人が多い様に思われた。この前提にあるのが、一旦就職したら定年まで会社に奉仕して働き続けるという就職感だった。
 昨今では、ワークライフバランスなどと言って、個人の人生を大切にしようという人達もいるが、人生の基軸が会社での仕事のための時間であるという前提は崩していない様に思える。

 単に大学が職業訓練校的な位置づけになるとするならそれは本末転倒だが、研究機関としての大学で学ぶことが社会に活かせないのだとしたら、別の視点で大学の意味が問われることになるだろう。少なくとも、授業に出席しなくても単位が取れるなどというのはあってはならないし、単に教授の趣味的な知識を提供するだけの授業の存在価値は、インターネットが普及した現在ではほぼ無い。

 決して大学の理想論を並べたいのではない。モラトリアムの受け皿としての大学の役割はとっくに終わっている。猫も杓子も大学に行かなければならないような空気はやめた方が良い。
 バイトの経験が仕事に役立つと思っている学生や社会人が多いようだが、その考え方はとっくに化石化するほど古いものになっていなければならなかった。これからの日本は、少ない人数で支え、造っていかなければならない。その中で、就職や仕事の在り方だけが旧態依然としているのはかなりまずいはずだ。

 自由な大学生活が本当に有意義になるには、実社会で即戦力となり得るスキルを身に付ける必要がある。厳しい言い方になるが、旧来の学生然としていられる時代は過ぎた。過去を消費することにではなく、未来を創り上げる方向に力を注いで欲しいものだ。と、無責任にも、そう思ったりしている。

おわり

 

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