見出し画像

進む自動運転

 船舶や山手線などの自動運転実用化が見えてきたらしい。どちらも、不特定多数の人間と遭遇しないエリアを運行するものだから、自動車に比べれば自動運転化が容易なのだろう。
 実現されれば、陸海空を自動運転の乗り物がたくさん動き回る時代がやってくる。なんだかワクワクする。

 自動車の場合は、高速道路以外では人がいつ飛び出してくるか分からないから、それに対応できない限りは一般道での自動運転は実現が難しい。車間距離だって他の乗り物とは比べ物にならないくらい近い。
 もっとも、全ての車が自動運転車になって情報共有し合うようになれば多少は違うかもしれない。

 身の回りの道具で言えば食洗機や掃除機が自動になっているが、考えてみれば炊飯器や洗濯機だって自動と言えば自動だ。釜で米を炊くときは今よりも掛かり切りだったはずだ。洗濯だって川まで行かなくても良いというだけでかなり時間の節約になったはず。
 もっと考えようによっては冷蔵庫だって自動と言える。今ならスイカやビールを冷やすのに冷たいせせらぎに浸けておく必要が無い。

 自動化が進んで楽になったり安全になったりしたことで人は何を手に入れてきたのだろうか。

 車のようなものが自動で動いているのを見ると単純に凄いと思うのだが、それはなぜだろう。
 人間にしか出来ないと思っていたことが機械にできているからだろうか。そうした技術を開発した人類の叡智に感動するからだろうか。
 片や車は自分で運転したいという人もいる。運転することが楽しみだから自動運転など興味がないと。
 待てよ。
 極度に自動になることによって人は楽しみを失うということか。敢えて取り組まないと手動でコントロールする技術の習得を楽しむことが出来ない。
 ということは、日常生活や生産活動が自動化によって省力化され、それで空いた時間を使って人は自動化によって失われた反自動の領域を嗜むようになるのかも知れない。
 例えば川に洗濯に行って井戸端会議するとか。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?