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AIと人間の関係性

 AIは膨大なデータセットに基づいて答えを出す。ここに問題が二つある。
 ひとつが現時点ではAIが学習するデータセットは基本的に過去のものだとという点。もうひとつは一人の人間はそれほど膨大なデータセットで学習していないという点だ。

 学習の元になるデータが近い過去を含めた過去に集められたものである点は殆ど人間と同じだが、人間の場合はリアルタイムで学習内容を修正していくことが出来る。皆が出来るとは言わないまでも、出来る人が少なからずいる。常に学習され続けるというのは、部分的でこそあれども過去を否定し続けることである。忘れるという機能が人間にはある。この自己否定のような営みは現在のAIには恐らく実装されていない。
 これがどうして問題かと言えば、この自然に起こる内省的な自己否定のプロセスこそが人間の成長の原動力だからだ。AIが日常生活に広く普及した状態を想像すると、人とAIが関わる場面が増えれば増えるほど、互いに従属的になって人の成長機会が失われることになるだろう。過去の上書きをせずに全てを憶えているAIには知識の積み上げはあっても成長は無い。

 学生時代にあんなにも沢山のことを憶えなければならず苦労した人が多いだろうが、もちろんそんな知識は殆ど忘れてしまっただろう。それでも私たち人間は少ない知識だけで十分に生きている。
 一人の人間が一生かけても巡り会えない量のデータによって学習したAIは全知全能かと言うと決してそんな事はない。全知であったとしても全能ではない。逆に少ないデータでしか学んでいない人間が、人間として不完全かと言えばそんな事はないのだ。人間らしさはある種の不完全さを内包することを前提にされているのであって、それこそが人間だ。
 対して、人がAIに完全さを要求するのだとして、それが実現されるのであれば人間に似たものとして作られたはずのAIは人間を遥かに超える存在になる。人のようで人ではない存在があらゆる場面での規範的な存在や判断基準の提示を行うようになったとしたら、たとえ判断するのが人間だとしても人間らしさを存続させるのは危うくなる。

 こうした想像から導かれる未来は、不完全なAIに洗脳されてしまった人類が成長を忘れ無能化していく社会だ。それはAIが人類を支配するというようなイメージとは違う。人がAIの奴隷になるのでもない。言ってみれば、AIを過信して頼りすぎる事によって人の脳が空洞化した未来だ。
 AIに全能を見るが故に人間の価値を低く見てしまう。ひとりの人間に判断を委ねるなんて気が触れていると思うようになったとしてもおかしくはない。政治家や官僚を何万人集めたところでAIの知能に適うはずがないと人々が思った時点で人間は自らを諦めざるをえなくなる。

 AIと人間の関係性を考える上では、AIを過信しないことが大切だ。
 今の人々はそんなことは露とも思っておらず、AIはまだまだと考えているだろう。しかし、人々に浸透するにつれ私たちのAI認識は変わる可能性がある。意外と使える奴だなと思った時には気をつけた方がいい。

おわり

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