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好き嫌い

 好き嫌いがある。食べ物の話だ。食物アレルギーの話では無く単純な好みの話だ。

 我が子が小さい頃にイクラをじっと見て言った。これには眼があるからコワい、だから食べられないと。確かにイクラには色の濃い部分があって眼に見えなくもない。味が好きとか嫌いとかではなく見た目の問題ということだ。自分にはそんな経験が無かったから、そんなものかと受け流していたけれど、考えてみれば自分にも無くはなかった。記憶から消し去っていただけだった。

 私が小さい頃になぜか良く観察していたのが海老や蟹の顔。誰が送ってきていたのか、はたまた親父が何処かで買ってきたのか分からないが、おが屑に埋められた海老や蟹が時々我が家に届けられた。おが屑の中から母が取り出すと、ほら生きてるのよと私に見せた。気づけば私はそいつ等の顔に惹きつけられていた。顔には小さな沢山の脚のようなものが蠢いていて、その間から泡を出している。二つの目は恨めしそうに、でも焦点の合わない様子でじっとこちらを見ている。弱っていたのだろう、指でつついても動こうとはしない。ただただ口を動かしながら空虚な目で見返して来るだけだ。

 その後私が何と言ったのかは覚えていない。でも、何てグロテスクなんだろうと思ったのは記憶している。
 もういいでしょと言って母はおが屑を払うと、奴等は煮え立つ鍋に入れられた。生きながらにして入れられた鍋の中でしばらく動いていたが、やがて動かなくなった。何て残酷なことをするんだと思いながら観察していた私に、見ててご覧なさいもうすぐ赤くなるからと母は事もなげに言った。確かに奴等は真っ赤に茹だっていった。鍋から立ち昇る匂いには、奴等の断末魔の叫びが乗り移っているように私には感じられた。

 アレルギーですか。海老が苦手と言うと、そうと決まっているかのように必ず言われる。いや、アレルギーではなくて香りが好きじゃなくて。つまりただの好き嫌いです。私はそう答えるようにしている。
 実際奴等からは未だにあの断末魔の匂いが立ち昇っていて、とても食べる気になれないのだ。グロテスクな奴等が残酷に茹でられた時に発するあの匂いだ。

 だが不思議なことに蟹の脚は美味しくいただける。なぜかそこからはあの匂いが漂って来ないから。

おわり

 

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