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いよいよ無線給電が始まりそうな予感

 間もなくすると無線(ワイヤレス)給電が使えるようになるらしい。無線給電とは、文字通り無線で電気を送って充電する仕組みだ。線を繋がなくても何かの上に置かなくても、スマホなどの機器に充電が出来る。充電のために商業施設に立ち寄らなくても、何処でも充電出来てしまう。

 現実的には何処でもと言うのは言い過ぎで、家の中や充電スポットのような所に行けば、そこに居るだけで充電出来るようになるイメージだろう。それでも便利になることは間違いない。

 気が付けば身の回りには線の繋がれていないデバイスが多くなっている。スマホやスマートウォッチはもちろん、給電を別とすればゲーム端末やそのコントローラーもそうだし、家電やスピーカーもそうだ。これらの機器は、これまではコンセントが必要だったり充電の時だけ線をつなぐ必要があった。それが不要になった暁には真のモバイルデバイスになれる。

 もちろん無線給電は無料と言うことではないので、月いくらで何処でも充電し放題なんていうサービスが出てくるかも。そうなれば家計の出費は減るのではなくて増える可能性があるから注意が必要だ。

 それにしても人の生活は電気が無くしては全く成り立たなくなってしまった。
 何をするにも電気が必要で、これからは車だって電気になる。
 電気や電波の普及は人間の生活を劇的にかつ途轍もないスピードで変えてしまった。
 石炭燃料を用いた軽工業の機械化が第一次産業革命、石油燃料を用いた重工業の機械化・大量生産化が第二次産業革命、機械による単純作業の自動化が第三次、機械による知的活動の自動化・個別生産化が第四次産業革命と言われている。
 電気が活躍するようになるのは第二次産業革命の頃。19世紀半ば以降だ。
 ご存知の通り、電気の利用は電力としてだけではなく、通信や制御にも利用されている。そして現代では知的活動の領域にまでその触手を伸ばしている。このnoteと言うサービスだって電気が持つそれら全ての機能に支えられている。

 電気や電波は目に見えない得体のしれないものと言うのが普通の人の感覚だろう。なぜ電気によって洗濯機が回るのか、なぜ電波で映像や音声といった情報を伝えることができるのか、なぜ人工知能は写真に写る動物が猫と判断できるのか。そんなことは誰も気にしないし、興味を持つ人はむしろ変人扱いだ。

 これだけ電気に日常を支配されていて、なくなったら至極困るものの事を理解していなくて本当に良いのだろうか。電気が無くても出来る生活をリアルに想像して訓練をしておいた方が良いのではないか。と、私はまた余計な心配をし始めそうになったが、ふと心の中で浮かんできた事があって思考が停止した。
 それは電気と言う言葉を妻に置き換えてみたらということだ。

『これだけ妻に日常を支配されていて、なくなったら至極困るものの事を理解していなくて本当に良いのだろうか。妻が無くても出来る生活をリアルに想像して訓練をしておいた方が良いのではないか。』

 電気のことを考えるのは一旦やめておくことにしよう。

おわり



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