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接客のスタンダード
とあるコンビニでの接客の取り組みがテレビ番組で取り上げられていた。接客の上手な店員にかかると、勧められたキャンペーン商品など、つい余計な買い物をしてしまうという。良い接客は売り上げ向上に繋がっていると、接客のための研修風景が映し出された。
マニュアルに書かれた言葉を単調に並べるだけの無味乾燥な接客に比べ、一人ひとりに話し掛けるような接客は人間味に溢れている。単なる客と店員という関係性を超えて、コンビニが人と人との自然な交流の場になっているのは羨ましいとさえ思った。しかし同時に、それを研修で身につけさせようと、最高の笑顔の作り方を教えている光景に違和感を覚えた。
どこの商店街も賑やかだった時代、八百屋、魚屋、乾物屋など、立ち並ぶ商店からは大きな声が響いていた。
さぁ~いらっしゃい! 今日はナスが安いよ~。ほら、奥さん、サービスでこれもつけちゃう。スイカ初物、甘いよ~、食べて。どう? 美味しいでしょ。と、その場でスイカを切って味見させてくれる。
買い物というのはそういうものだった。接客とはそういうことだった。
でも今は、それを知らない人の方が多い時代だ。接客というと、決められた言い回しをいかに淀み無く言って、何かあれば申し訳ございませんと言うことだと思っている人が多いのではないか。
あの当時の店先のオヤジは謝ることなんて無かった。
この間の魚、美味しいって言ったから買ったのに、脂がのっていなくて美味しくなかったわよ、と言われれば、そう?? 俺が食べた時は美味しかったんだけどな、しょうがねぇな、今日はこれ、食べてみて、美味しいから。まけとくから。今度は絶対だから。
昼に回転寿司に行った。
予めアプリで順番の予約をし店舗に向かう。混み合った入口付近で、番号が書かれた紙を持って待つ。しばらくすると、私の番号がディスプレイに表示されるとともに機械音声でアナウンスが流れる。
大変お待たせしました、175番の方、QRコードをかざして席にお進み下さい。それを聞いた私は立ち上がり、コードリーダーにタッチして席につく。
お茶を入れ、ウェットティッシュで手を拭いて、注文用のタブレットで注文すれば、皿にのった寿司が専用レーンで運ばれてくる。
来店するたびに便利になるななんて会話をしながら機械で握られたシャリにネタを乗せただけの、今では一般的に寿司と言われる寿司に似て非なるものを口に運び、そこそこお腹が膨れたら、会計はまたQRコードのセルフレジだ。
板さんとの会話が無いどころか、姿も見ない。上がりを運ぶ小僧さんや飲み物を持ってきてくれる女将さんの姿もない。今それを求めようとしたら、高級店の暖簾をくぐる必要があるだろう。
帰りにコンビニに寄った。セルフレジと有人レジが一つずつ早晩これも全て無人になるのだろうか。
家電量販店に行けば、面倒くさい値引き交渉などせずに、他店舗の価格をネットで調べて、あとはポイントがどれだけ貯まるのかが気にすれば良い。
ここ最近になって急激に自動化が進んだ。お店ではどこもかしこも店員の接客に触れる機会が減っている。店員に接客されずに買い物が出来るなんて、便利で快適だと思う自分がいたりもする。接客が受けられるお店は貴重になったのだ。
店員がいる店で買物が出来るなんてあの人はお金持ちだね、と囁かれる日が近いうちに来るのだろう。そんな店では威勢のいい「いらっしゃい!」ではなく、「〇〇様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました。今日は〇〇様にお似合いの商品を取り揃えておりますので、ごゆっくり御覧ください」とでも言うのだろう。客を手球に取るのが接客だと心の中で思っている店員におだてられるのが気持ちよくて、カモられるのを承知で「ご来店」する客が集うのだ。
義理と人情なんて古い。そう言われる時代はとっくに終わって、義理と人情って何? 何か良くわからないけど、昔はそんな言葉があったらしいですね。そういう時代になったのだ。
便利で快適な暮らしを追求した先には、うら寂しいシャッター通りとなったかつての商店街の残骸がある。
おわり
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