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柔軟性

 上司には良い顔をして気に入られ、部下や社外の協力会社は露骨に下に見て顎で使おうとするという、典型的な出世意識の高い社員というのがまだ生息している。それどころか、大企業では最近少しずつ増えてきた感もある。
 そういう人はとにかく上司受けが良くて、陰ではこそこそと嫌味なことをしているくせに、上司に対してはみんなに聞こえるような大きな声で猫なで声だ。上司の方もおだてられて悪い気がしないのだろう、何だか楽しそうにやっている。

 そういう社会の仕組みなのだから、それのどこが悪いと言われてしまえばそれまでだが、その仕組みこそがこれからの日本には邪魔になると思っている。
 この先、日本の人口が少なくなると散々言われておきながら、業務に従事している人の数が不必要に多いと思うことがある。それは、業務自体に無駄があるのと、業務をこなす人の作業に無駄がある場合がある。多くの場合はその両方だ。

 どんな会社でも少し見渡せば、やらなくても良いが以前からやり続けている業務や、やり方を変えれば不要になる業務があるはずだ。
 やり方を変えるのはあちこちから物凄い抵抗に合うから変えたくても変えられないと思っている人もいるだろう。それでも、この作業必要なの? と思いながらやっている。その全てが不要な業務という訳では無いが、簡略化出来ることは多いはずだ。

 個々の業務においては、必ずしも効率的に作業が行われているとは限らない。こなす数よりも時間を掛けた方が個人にとって得策になる職種もある。残業代稼ぎはその典型だ。残業をしなければ生活が成り立たないのだとしたら、業務とそのやり方と同時に給与体系がおかしい。日本ではおかしな給与体系が一般化しているから、なかなか変えられないのだろうと思っている(一般的で無いものを導入するのは多くの人の理解を得るのにコストが掛かる)。

 業務を効率化するためにマニュアルを作ったとしても、マニュアルは万人向けだから、人によってはもっと上手く速く出来ることだったりする。マニュアルや規則でガチガチに固めていては、能力の高い人を見出して吸い上げることは難しい。マニュアル通りに行える事で能力を測るのではなく、価値あるアウトプット量で評価しなければならない。そうして評価された人のポジションや実入りが増えるようにしなければならない。

 そこで浮かぶのが柔軟性という言葉だ。無駄な業務や作業はその企業の柔軟性を低下させる。柔軟性が低下すればパッと動けなくなるし、不用意にパッと動けば怪我をしかねない。運動不足が身体の柔軟性を低下させるように、組織の動きが悪くなると自由な発想が出来なくなる。それがまた動きを悪くする。
 何事にも柔軟性は大切なのだ。

 こうした方が良いんじゃないかという提案が素早く実行に移される為には、組織はコンパクトでなければならない。役割分担を明確にして、何をする人か分からない人がいないようにしなければならない。
 しかし、コンパクトで責任所在が明確な構造が上手くいくのは、社会や組織そのものに高度な柔軟性がある場合に限る。何度もやり直しが効く形態でないとならない。
 その様な態勢は、局所的にはリスクと背中合わせでもあるので、安定や守られていることに慣れきっていると、危ない奴らにしか見えないだろう。
 しかし、柔軟性があって高い自由度があれば、全体としては寧ろリスクは低くなる。

 自由度や柔軟性が低下した社会や組織は、大きな崩壊に向けて突き進む暴走機関車にもなり得る。そうなってしまったら誰にも止められない。

おわり
 
 

 

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