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バケーションシーズン

 最近の街の混雑具合を見ると、今年のゴールデンウィークの人出は凄いことになりそうな予感がする。
 元々人混みや行列が得意ではない私に取って、みんながこぞって休みを取るバケーションシーズンは有難くもなんともない。
 観光地はもとより、そこに辿り着くまでの道程も混雑することが必至で、わざわざそんなところに突入するよりも、人気ひとけのないところでのんびりするほうが性に合っている。
 きっとテレビニュースでは高速道路を映して渋滞情報を流すだろうし、新幹線のホームや空港の混雑状況が伝えられるのだろう。
 そんなこととは無縁でいたいと常々思っているものだから、なかなか妻とは意見が合わない。

 混雜を楽しんでいる人は忘れているかも知れないが、そんな時期だからこそ働いている人も多くいる。全員休みだったら誰も観光など出来ない。
 働く側の人たちが、皆が楽しそうにしているところで働がなければならないことを恨んでいないと良いのだが。

 英語にもなった「過労死」をきっかけに、働き過ぎは良くないという考え方が広まり、労働時間が過剰にならない生き方を求める人が増えた。
 それはそれで良いことなのだが、社会のルールとして一律に規制するという解決方法は、あくまでも過渡期的なものであるべき、というのが私の持論だ。

 本当にいけないのは働き過ぎではなく、働かされ過ぎであって、その背景には働くことの意味や意義についてあまり教わらずに育つことがあるのではないだろうか。もっと言えば、義務や権利や自由について、教わる方も教える方もあまり理解していないことがあるのではないか。
 理屈よりも論理よりも空気が優先されるこの国では、様々なハラスメントが根付きやすい環境にあると言える。
 だから、働く人の側も何故働かされ過ぎる状況に追い込まれてしまうのか良く分からずにいるのではないか。あの上司のせいということにして愚痴るのがせいぜいのところだろう。

 生きるためにはお金を稼がなければならない。そのためには働かなければならない。そういった論理がさも真実であるかの如く言われ、お金は無いよりあったほうが良いと思い込んでいる。
 どんな価値観で生きようと自由だが、お金に対する価値観は休日の過ごし方の価値観程度には画一的だ。
 別の見方をするのは難しいのが人間だけれど、人口が少なくなるこれからは、価値観も今以上に多様性が必要だし、お互いの価値観を尊重し会えるような空気も必要だ。
 
 いつかみんなの休みが分散してゴールデンウィークの観光地が閑散となったとき、私はようやく気軽に訪れることが出来る。実はそれを心待ちにしている。

おわり

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