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薬に頼らない

 古来、人は草木など自然界にあるものを服用することで、身体の不調を整える効果を試して来た。どのようにして効くのかではなく、どんな時に何を飲めば効くのかが重要だった。それを薬と呼んだ。

 自然界から生み出された食べ物を摂取することによって人の身体が出来ているということから考えても、身体に何かを取り入れれば効能を発揮するという考え方は、ごく自然なものだったのだろう。

 現代の生化学的なメカニズムからすれば、古の薬の効果は限定的だろう。しかし実際にどれだけ効いていたのかとは別の話だ。薬学的な効果は無くても薬が効くことは実際にあるし、薬がまじないの一種だったことを思えば、十分な効果があったのだろう。

 科学的な手法によって開発され、徹底した治験を経て実用化されている現代の薬に効果が無いはずがない。そう思いたくなるのはもっともだが、ミクロな分析をもとにつくられた化学物質が効果を発揮する範囲は思うより限定的だ。だからこそ薬には副作用(side effects)がある。ねらいとは別の効果が必ず作用する。副と書くと添え物のように思えるが決してそうではなく、その薬の主たる作用そのものであり、服用のねらいとは別というだけのことだ。複雑な仕組みの身体に変更を加えることがバランスを崩すことは容易に想像出来る。だから、強い薬ほど副作用も大きくなる。

 お年寄りが大量の薬を処方されているのを昔から良く見かける。症状は多岐に渡り、それぞれの症状に合わせてひとつずつの薬を飲むと、その副作用を抑える薬が必要になるなどして量が増えるらしい。長年大量の薬を飲んでいる様子を見ると、薬によってどれだけ改善しているのか疑わしくなる。どちらかと言えば、改善を目的とした薬ではなく、値を正常範囲に維持するために投入されているように思える。化学の実験で使った試薬を思い出す。

 化学の授業で中和の実験を行う際、溶液がアルカリ性なら酸性になるように試薬を追加する。しかし、少し入れすぎてしまえば酸性に傾くから、今度はアルカリ性になるような試薬を投入する。pHメーターでリアルタイムに測定していれば合わせやすいが、試薬を入れてみてから測定するやり方では、ちょうどよく中和させるのはなかなかに難しい。対象が実験器具内の水溶液ではなく人体であれば、ちょうどよい塩梅を見つけるのは不可能に近いのではないだろうか。

 そもそも、薬は毒と言われる。
 身体にとっては異物に他ならず、薬を摂取すること自体が何らかの悪さをすることは間違いない。もし悪さをしないものであれば、必要不可欠かどうかも分からない。悪をもって悪を制するのが薬だとしたら、薬など飲まないにこしたことはない。だから私は、いわゆる風邪薬の類は飲まないことにしている。

 薬を含めた医学の発達によって現代人の寿命は延びたと思いがちだ。
 しかしそれだけではないだろう。
 医学の知見は大いに役立っているが、そうした知見を元につくられた社会の仕組み全体が寿命延長に寄与しているのだと思っている。薬や医療に過度に頼ると良いことは無いはずだ。対処療法の結果は何の対処も出来ない事態を生み出す。

 薬や医学を過信せずに、普段から心と身体を整えることが大切だ。そのためには、どういう状態が整った状態なのか知っている必要があるし、どうしたら整えられるのかを知る必要がある。
 まずは自分の心身を大切に思うことから始めたい。

おわり

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