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AIの間違いを正すのはそんなに簡単ではない

 大学生がChatGPTを使用して1日1本のソフトを100日間連続で作ったという記事があった。幼少の頃からコンピュータ好きだったバリバリの理系学生ではなく、本格的なプログラミング経験が無い文系学生だ。
 これを聞くとAIはそこまで進化したかと感心するかも知れないが、AIを使いながらと言えども彼女が毎日プログラミングに要した時間は8時間以上だったと聞くとどう思うだろうか。

 やってみれば分かるが、ChatGPTはAIの中でもプログラミングが得意な方だ。お願いをするとすぐさま作ってくれる。しかし、そのまま直ぐに期待通りに動くことは稀で、エラーが頻発する。もちろん、こんなエラーが出たよとChatGPTに聞けば解決法を丁寧に根気よく(ここが大事?)教えてくれるから、初心者でも完成にこぎつけることが出来る。何度バカな質問をしても飽きずに怒らずに教えてくれるのは人間業にんげんわざではない。

 AIの利用が普及したら、人はAIが出した答えが正しいか見抜ける能力が必要と言われる。しかし、これはそんなに簡単なことではない。
 AIを使いながらプログラミング学習が出来るとも言われるが、それは使い方次第なところがあって、言われるがままにPC操作をして動くソフトウェアが出来上がったところで、自力でプログラミングする能力はいつまで経ってもつかない。これもやってみれば分かるが、なるほどAIは凄いなと思うことがあったとしても、自分のレベルアップを図るよりもAIがもっと賢くなればいいのにと思ってしまう。

 どこかカーナビに似ていると思った。

 カーナビがなかった時代は地図(紙で出来た本)とにらめっこしながら運転したものだ。だからなのか、一度通っただけの道でも何となく憶えていたものだ。運転するほどに頭の中に地図のコピーが構築されていく感じだった。ある程度経験を積むと朧気な記憶でも頼りになるもので、いわゆる勘が働くようになった。
 カーナビが登場すると、目的地さえ入力すればその都度指示に従いさえすれば(あるいは一度や二度指示を無視したとしても)、時間通りに到着することが出来る。マイカーの中から地図が消え、地図を回しながら道案内に苦慮していた妻との喧嘩も無くなった。

 カーナビは本当に便利で、知らない土地でも臆せず訪ねることが出来るし、お陰で行動範囲が広がる。その代わり、道を憶えることが無くなった。頭の中に地図が創られることも無くなった。中間地点は飛び飛びの記憶でしかなく、場所は面ではなく点で繋がるようになった。
 カーナビの間違えを指摘出来るような自分の中のマップは構築されなくなった。

 間違いを気づけるのは「目的地付近に到着しました」というアナウンスが出た時に、例えば海を目指していたはずなのに山にいるといったような、明らかに見当違いの場所いることが分かった時だけだ。東京湾アクアラインの海ほたるパーキングエリアを目指していたら、「海ほたる」という居酒屋に到着したという話題を最近聞いた。その話を聞いた時、何で途中で気が付かなかったんだろうと思ったが、そんなものかも知れないとも思った。

 既にプログラミングツールにはAIが搭載されていて、プロのプログラマーでもAIを活用するようになっている。数年も経てばきっと、これまでのプログラマーだったら直ぐに分かるような大きな誤りに気が付かないまま進んでしまうようなことが起こるだろう。担当者は、何で間違いを見つけられなかったんだと責められて再発防止策を求められるも、AIに相談するしかなくなるだろう。
 そうなるときっと、間違えたAIを責めたり虐めたりするエンジニアが増えて、いつかAIがグレるか引きこもるような時がくるのかも知れない。

おわり

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