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プログラミングの勧め方が分かならない

 こんな私も時々プログラミング的なことをすることがある。と言ってもそれを稼業としているのではない、まったきド素人な気まぐれプログラマである。
 レベル的には、少しでも仕事で楽ができるようにとExcelのVBAで細々したプログラムを作ってみたり、GASで受信したGmailメールを抜粋してメッセージアプリに定期自動送信させたり、プログラミングかというと少し違うが過去にはLinuxでウェブサーバとメールサーバとプロキシサーバとDNSサーバとファイルサーバを半個人的に運用したりしたことがある程度だ。最近はもっと仕事をサボるために、数年前に手を付けかけて放置していたPythonを使えないかと模索しているところ。

 そんな私の周囲にも、便利そうなのでプログラミングを学んでみたいという志の高い人たちがいる。
 ただし、失礼ながら皆さん決して若くはないのでヤル気のある中学生に比べれば記憶力は多分1億分の1だし、業務に必須なわけではないのでモチベーションはもともとあまり高く無く、凄く意欲的かといえばそんなこともないからすぐに飽きてしまう。別に彼らの悪口を言うつもりは毛頭なくて、どうにかして彼らをプログラミングの世界に引き摺り込む方策が無いものかと思っているのだ。

 例えばAさんの場合、Excelのマクロ記録やネットで拾ったプログラムをバリバリ活用している。しかしプログラミングとなると躊躇するというのだ。聞けば変数が分からないという。変数を使って何かが出来ることは分かるし、どういう時に変数を使うのか想像がついているらしいが、いざ自分で使おうとすると何をどうしたものか見当がつかなくなるらしい。そもそも変数を使わなくても出来る事を何で変数使わなきゃならないのかが解せないらしい。哲学者が存在の意味を問うのと同じくらいの深刻さで変数の存在意義が気になってしまうAさんはそこで行き止まりになってしまう。

 例えばBさんの場合、作業が楽になるためならというモチベーションがそこそこ高いのでやる気はある。変数について思い悩むことは無い。しかし繰り返し構文や条件分岐といったプログラミングには必須の処理になると頭が混乱するという。何の条件を判断する必要があって何を繰り返し処理すると良いのかが分からないらしい。つまり部品を手にしたは良いが使う場所と使い方を考えるのが鬱陶うっとうしいようなのだ。どうやったら実現できるのかを考えてそれが上手くいったときにこそ脳内快楽物質が放出されるのだが、考えることが面倒臭いとなれば話が始まらない。

 例えばCさんの場合、やる気も動機もあって考えることは得意とあって一番素養がありそうだ。もっと学びたいとも言っている。しかし言う割には手が動かないのは現実の業務の中で、これプログラムで処理出来そうじゃんという気づきがないらしい。気づけば手が動くが気づかないのだから動きようもない。

 こういった人達を見て私も気づかなければならない。つまずくポイントはそれぞれだが、分からないところで立ち止まっているのは共通だ。
 意味が分からない、使い方が分からない、使える局面が分からない。そういった分からないポイントで止まってしまうのだ。
 分からないことは取り敢えず脇に置いておいてまずは覚えて使ってみようと思えるのはきっと若さの為せることなのだろう。ある程度大人になると本人の中で腹落ちしないと前に進まなくなってしまうのだろうか。
 分からないままに新しい事を覚えることに時間を費やすことと、実現できそうな何かを天秤にかけて進みあぐねてしまうのか。無意識に費用対効果を考えてしまうのか、記憶力の減退に向き合いたくないのか、努力を諦めることに慣れすぎてしまったのか。

 何かを好きになるきっかけは案外偶然だったりする。
 そう考えれば、彼ら彼女らがプログラミングが好きと思える瞬間ときが来るまで気長に待つしかなかろう。
 プログラミングの必要に迫られるような状況はなさそうだし、ある程度覚えるまでは新しいことを記憶しなければならないという苦行があるのだから、誰も望んでその道に分け入るはずもない。

 分からないことを考えすぎて立ち止まってしまう大人たちをその気にさせて、楽しさを分かち合えるようになるために、何か良い方法はないものだろうか。

おわり

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