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意識の先のシンギュラリティ

 もし人が2つの脳を備えたことによって意識がもたらされたのだとするならば、AIが意識を持つことが可能だということになる。2つの個別のAIを繋げるのではなく、2つでひとつとなる様な役割分担と連携が出来れば良い。具体的には、一部の信号と結果を共有するということだろう。また、2つの脳に跨って信号処理を行う機能も必要だ。人間で言えば大脳以外の機能だ。

 重要なのは、脳を機能別に分類してそれらのそれぞれをAIで再現したとして、それらを組み合わせて統合したところで意識は生まれようがないということだ。バラバラにして組み直せば元通りになるなんてのは機械では可能でも人間ではあり得ない。

 そしてもう一つ大切なのは、人間の持つ身体性だ。神経系をAIで再現するには脳を再現するだけでは不十分すぎる。身体中に張り巡らされた神経系を全て実装しなければならない。身体もまた意識を生み出す重要な役割を担っている。もっと言えば、その神経系のシミュレーションは神経外からの刺激を感受することができなければならない。環境情報は脳内を巡る信号の源泉であるから、知能の再現には欠かせないものだ。それは意識の再現にも深く関わる。

 外界の情報を全て取得せよというのは実際には難しい。私たち人間がいとも簡単に行っているから簡単そうに感じるかも知れないが、情報量が半端ではない。しかも人間の場合、そうした大量の知覚情報はリアルタイムに抽象化処理されてから脳内に伝えられる。言わば解凍のいらない圧縮をしているようなものだ。それをコンピュータで再現するのは至難の業だ。必要なセンサーの数は膨大になるし、それらのセンサーから入る逐次データをすぐさま必要最小限のデータにして伝え、受け取った側が順次処理を行い続けるのには膨大なコンピュータ・リソースとコンピュータ・パワーが必要になるだろう。

 生成AIによって我々が受けた感動は大きい。脳がやっている処理は意外にも単純で、限定的な領域に限って行うのであれば現在のコンピュータ・パワーによって実現出来るところまで到達したことが分かった。
 しかし、現実の脳をシミュレートするだけのコンピュータ・パワーを人類は獲得したとは言えないだろう。少なくともエネルギー効率の悪いものしか手にしていない。これが、脳細胞のみではなく全身の神経細胞とそこに耐えず流入するセンサー・データまで含めて処理することが必要となれば、無理難題であることは容易に想像出来るだろう。

 つまり、原理的には現在のAI理論の延長線上に意識というものがありえても、その実現にはムーアの法則を持ってしても計り知れない時間が必要ということだ。
 もっとも、完璧でなくても良いから何か意識らしきものなら近いうちに実現可能かも知れない。しかしこれこそが怖い。中途半端な意識が暴走したらと考えると恐ろしい。人間の赤ちゃんですら、大量のデータをこなす能力を持っている。AI意識の赤ちゃんは完全に未完成で未熟な意識だから、何をしでかすか分からない。物事をむちゃくちゃ単純化してとらえる意識があったとしたら悪いことが起こる予感しかない。

 何をもって知能と見做すのかは、何をもってシンギュラリティとするのかに通じる。それは定義次第とも言える。
 人間が持つ知能は、私たちが考えるようには取り出せないものだ。脳みそだけで知能がつくられているのではない。そう考えれば、つまり、人間の完コピが出来てこそ知能の再現なのだとすれば、シンギュラリティは無限の彼方にあるといえる。

おわり


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