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定年って?

 トイレに入っていて急に思いついた。

 昔のように定年って55歳くらいが良かったんじゃないかと。
 なんだかんだ言って、50を過ぎると極端に頭が衰えてきて、それまで出来ていたことがからっきし出来なくなる。

 記憶力の問題だけじゃない。前頭前野の萎縮は理性や知性にも影響するから、キレやすくなったり、それまでのように思考出来なくなったりする。ホルモンバランスの変化による影響もある。新しいことに取り組むのが億劫になり、文章を読むのが面倒くさくなるのも年齢のせいだろう。老眼の兆候も出てきて文字を読みづらくなる。

 50を過ぎると頭が衰えると書いたが、正しく言えば衰えるのではなく変容するということだろう。それまでと変わる、それだけのことだ。
 それまで出来ていたことが出来なくなるとなると愕然とするし明らかに悪化と捉えがちだが、変容は悪いことばかりではなく、物事を大局的に見たり、経験を生かした助言をしたりするのはむしろ適しているのかもしれない。

 蝶が幼虫からサナギへ、そして成虫へと変われば、幼虫の時のように葉っぱを貪り食うことは出来なくなるが、甘い蜜を吸うことが出来るようになる。その変化は悪化ではなく、単なる変化だ。人間からしたら、モゾモゾ動いているイモムシよりもヒラヒラ舞う蝶々の方が好きという人がいるくらいだから、良い変化とも取れるくらいだ。

 ともかく、50を過ぎる頃から普通の仕事をそのまま続けるのが物理的に困難になる。同じような成果も出せない。そんな自分が不甲斐ないと思う人だっているだろう。若い人のように身体の無理だって効かない。どう頑張ってもそれまでの能力は低下していく一方なのだ。若い頃には想像もつかないことだが。

 だから、55歳が定年というのは一理あるどころか、大いに適していたのだと思う。

 寿命が伸びたからと言って定年を伸ばすのは、働く側も働かせる側も不幸になるだけだ。意欲だけあったとしても、実力が伴わない人を雇い続けるのも不幸だし、上手く行かないことだらけで無理して働くのだって辛い。

 55歳で定年となり仕事をやめて年金生活で悠々自適というのは今からすれば嘘のような話だが、30年くらい前まではそうだったのだ。1998年以降、55歳定年制は違法となったものだから、使えない人が使えない頭をフル回転させて生産性の低い仕事を無理強いさせれられているのが現状というわけだ。

 55歳以上の人が使えないのは、もちろんその人個人のせいではない。多少の年齢差はあるが人間なら誰しもそうなのだ。平均寿命が伸びたからといって、脳が発達し続ける期間が伸びたわけではない。生まれてから20歳くらいまで掛けて発達した脳は、30歳前後で萎縮が始まる。これは変わっていないのだ。

 もちろん職種によっては年を取ってからが円熟味を増すというジャンルもあるだろうが、一般的な頭脳労働と肉体労働は50歳を過ぎても変わらずに出来るなんてことは無い。その意味で、55歳で定年はきわめて正しいのだ。

 生産年齢人口が減り、高齢者が増え、平均寿命が伸びる中で健康寿命が伸びて暇な老人が増えるのは良くないと誰が言ったか知らないが、働けるうちは働きなさいと満足に働けない人たちに鞭打つ国はろくなもんじゃない。

 年寄りを支える若い人の身にもなってみろと思うかも知れないが、パソコンやスマホの使い方が分からず社内の精算や申請のたびに他の人に聞かなければ出来ない人が増えれば、生産性は上がるどころの話ではない。マニュアルがあるだろと言っても当人は字が読めない(正確には読むのが大変)ですんなり理解するのも難しい(バカかと思う程に理解出来なくなる)のだから無理がある。

 というわけで、定年を70歳にするなどというのは暴挙でしかない。

 むしろ定年を無くして、働ける人や能力を維持できている人、つまり生産性が高い人は望めば働ける環境にし、働けない人はご隠居生活を営んで貰えるようにするか、それぞれの能力に適した職場をあてがうなど、無理のない方法を取るべきだ。
 もっとも、定年を無くせば収入欲しさにしがみつく「できない人」が増えそうで、そうだとするならやっぱり定年は55歳にして、あとはベーシックインカムで悠々としたいものだ。

 なんてことは、無理か。
 そう思った私はおもむろに便座を離れた。

おわり

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