なんとなくの感情にも原因があるよっていう話

エチカシリーズ第2段。喜びについて、っていうテーマで書こうと思ったけど、難しくて悩んでしまった。
気付いたら日曜日になっていて、一応毎週アウトプットするのが目標だからとりあえず頑張って書いてみよう〜という気持ち。

前回は、エチカのすきなところ1つめとして、世界はひとつだという考え方をまとめた。
そこから派生して、世界は必然的に今の形になっていること、私自身も世界の一部を担っているということを考えてみた。

エチカのすきなところ2つめ。感情を分析していること。
スピノザは感情を次のように定義している。

第3部 定義3
感情とは我々の身体の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害する身体の変状、また同時にそうした変状の観念であると解する。

つまり、感情を身体の反応に還元して考えることができる。そして、その反応には必ず原因があるので、感情を分析することができる。

「NLP理論」(神経言語プログラミング)というのがあって、私はその考え方が結構すきなのだけど、それと近いなと思った。
自分の感情は、ある出来事をきっかけにして動き出したプログラムの結果だとする考え方で、プログラムの内容を紐解くことで自分の感情を理解・コントロールすることができるというもの。
私は本を読んですごく面白いと思ったから印象に残っているんだけど、セミナーとかだと詐欺も多いらしいので要注意…。

なんか悲しいとか、もやもやするとか、そういうときも必ずきっかけとなった出来事(原因)があるとわかると安心できる。
例えば、日記を書くときも、だらだら自分の感情を書くのもいいけど、その日の出来事や思考を感情と分けて書くと、かなりすっきりする(のでおすすめ)

スピノザの感情の捉え方のベースにあるのは、「身心平行説」という発想だと思う。
身体も精神も、同じ1つのものを別の側面からみたものに過ぎないという考え方。
現代の価値観のベースにあるのは、自由意志によって身体をコントロールできるという発想だと思うんだけど、それとは全く違う見方でとても面白い。

ちなみにスピノザは「自由意志は存しない」と書いている。
そこにいたるすべての原因を認識できないから、自由な意志によって判断しているって捉えてしまうだけだってこと。

私はこういう考え方を「やさしい」と思うけど、「他力本願」「無責任」と感じる人も多いかも…。
人間にはその能力がない、分からないことがたくさんある、という点に逃げているようにも見えてしまう気がする。
正直、それは私の書き方が悪いのであって、スピノザが意図した部分ではないです。
知的な能力を高めること、より多くのことを認識していくことが重要だって、書いてあるので…。
とはいえ、どうやったらより多くのことを認識できるのか?という問いに対してスピノザは明確には答えてくれない。

個人的には、今で言うと「マインドフルネス」的な行いが答えになりうる気がする。
私はちゃんと実践したことがないから分からないけども。やってみたいとは思う。以下の本は読んで面白かった記憶がある。


エチカの序章(?)として、知性改善論というのがあるのだけど、その冒頭が私はとても好き。

一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験にのみによって教えられ、(中略)私はついに決心した、

何を決心したのかというと、
「真の善=一度獲得すれば不断最高の喜びを永遠に享受できるようなものが存在するか探求すること」を。
(スピノザにとってはその「真の善」が「神の認識」であったわけですが、それについては私の手に終えないので省略します)

やっぱり、人生を前向きに捉えるのか、それとも悲観的(後ろ向きってなんとなく嫌な表現だったので使わないことにした)に捉えるのかって
価値観のベースにあって、考え方の大きな分岐点だと思う。
どちらかといえば悲観的に捉えがち、という人はエチカを面白く読める気がする。私も悲観的タイプなので。

アウトプットのために色々考えてみたけど、やっぱり読みが浅いな…。
そもそも表現がいろいろ独特だから、1つ1つの概念を結びつけるのだけでも苦労するし。
またエチカはリベンジします。

また来週〜
次回は「生命とは何か」のアウトプットの予定です。

おまけ 今回のBGM


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