中学校の国語の授業 説明文編④ 「理由づけ」が明示される意味

中学校第二学年において数学科の証明指導の後に学習計画が位置づけられている『モアイは語る』(光村)を「評論」としてとらえて、以下述べていきます。
この教材を論証の構造に分析すると以下のようになります。数学科の証明指導において論証の意味や構造について理解が深まっていれば容易にとらえられる構造であると言えるでしょう(生徒の実態に応じて、ここまで教師が示し数学の証明と対比させて考えさせるのもよいでしょう)。

 データ:森林破壊により文明が崩壊したのはイースター島である
  ↓ ← 理由づけ:イースター島と地球は同じ状況であると言える
 主 張:森林破壊により文明が崩壊するのは地球であろう

教材では、「イースター島と地球は同じ状況であると言える」という「理由づけ」が筆者の判断基準となって、筆者の「考え」である「主張」が述べられていることになります。
実際の指導においては、この「理由づけ」は数学科の証明で学習した「理由づけ」(公理・定理)と対応するものであることを押さえることが大切になります。しかし、実際に対応させてみると、国語科で「理由づけ」となる筆者の判断基準は、数学科の「理由づけ」となる公理・定理のようなものではなく筆者の個人的な見解に過ぎないもの(社会一般の常識ではないようなもの)であるということが理解できることになります。「イースター島と地球は同じ状況であると言える」ということは生徒たちにとっておそらく聞いたことがないでしょうから。

さらに、ここからは今まで(中学校第二学年以前)においての「理由づけ」について考えさせていく指導が必要となってきます。例えば第一学年で学んだ『ちょっと立ち止まって』を論証の構造で分析させてみるとよいでしょう。この構造は以下のようになります。

 データ:私たちは、物の見方を変えると新しい発見ができる
  ↓ 
 主 張:私たちは、物の見方を変えることを試すべきである

これを『モアイは語る』と比較させてみるのです。すると「理由づけ」が省略されて書かれていないことに気付くことができます。ここで、その省略されている「理由づけ」を考えさせていけば、以下のような構造になることが理解できます。

 データ:私たちは、物の見方を変えると新しい発見ができる
  ↓← 理由づけ:新しい発見とは必要なことでありすべきことである 
 主 張:私たちは、物の見方を変えることを試すべきである

ここで「理由づけ」である「新しい発見とは必要なことでありすべきことである」というものは、なぜ省略されているのかということを考えさせていきます。すると、生徒たちからは「当たり前のことだから」「言うまでのない常識だから」という反応があるでしょう。
つまり、今まで(中学校第二学年以前)の説明文においては「理由づけ」は省略されて表現されていたのです。なぜなら、その「理由づけ」は「当たり前」で「言うまでのない常識」であるから表現する必要がなかったからなのです(人間は省エネの生き物です。無駄なことは省略します。ここを表現すると「くどい」と言って疎まれてしまいます)。
これは、今まで(中学校第二学年以前)の生徒たちは常識的な世界に生きていたことを物語ります。そして、中学校第二学年から「理由づけ」が省略されなくなる(一般常識ではなくなる)ということは「常識的な世界」から出て専門的な世界や様々な価値観が混在する世界で生きていくことも物語るのです。
またこのことは、生徒たちがこれから社会で生活していく上において、自身の行動の意味をよく考えていかなければならないという意識づけにもつながっていくことにもなるのです。

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