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入れないイベントを開催、その振り返り

関西の緊急事態宣言がそろそろ解除されるようだ。首都圏でもいずれは解除されるのだろう(それが一時的なものにせよ)。東京での新規感染者数が10人を下回る日が続く中、あの頃の雰囲気、状況を忘れてしまいそうな気がする。だから書き残そうと思う。

あの頃とは一ヶ月前の4月中旬のこと。この連休中の4月29日にAirT(Tシャツコミュニティ、詳細はこちら)の第一回目のイベントを行うことになっていた。4月7日に緊急事態宣言が出され、当初は少なくとも5月6日までは続くとされていたので、連休中のイベントなど誰が来るのだという思いもあったものの、イベントに向けて動いていた。

その理由は二つ。
一つは、そのような状況で開催された別なイベントがあり私はそれに参加したのだけど、これが大きい。このイベントでは、会場を広い場所に変更するなど、また、それ以外にもイベントにかける配慮、対策が徹底されていた(後から知ったことだが)。そういうイベントに参加したことで、私もブレないでやろうと改めて思った。

もう一つは、会場に関係する。
予定していた会場は有志で借りている一室で、部屋も建物自体も大変狭く、三密になるなと言われている状況では集客イベントは正直難しかった。だから、この一室で予定されていた展示やイベントは3月下旬からそれぞれの企画担当者の判断で打ち切りや中止となっていた。私はそういう状況になぜがモヤモヤしていた。周囲が閑散としていて誰も来ないことはわかっている。そんな中で一室を使うのは無駄なのか?開けられる状態になったら行えばいいのか?そもそも開けられる状態はいつ来るのか?

だから、とにかくやることにした。
そして、ブレない=前々からの内容ではなくて、コンセプトがブレないようにして、当日起こることに責任持つことではないかと考え、チームで話し合った。

ところで、イベントを企画し始めたのは2月。当初の目論見としては、イベントはきっかけにすぎなくて、参加者同士の自己紹介や雑談からAirTのネタを探したい、AirTのプレゼンや雑談から新たなネタが出てくるはず、と期待していた。今思えば、なんとなくイベントってこんな感じとざっくり思っていることをしようとしていたのだと思う。4月半ば以降は、これまで考えていたイベント内容でいいのかと疑問に思うと同時に、主催者のメリット以外に、イベントに参加する人のメリットとは何だろうか?と思ったりした。

例えば、興味を持ってくれる人がどんな人かと想定したら、同じような考えを持っているけど一歩を踏み出せずにいる人、すでに何かをやっている人にとってはさらに活動の場を広げるきっかけを探している人などか。そのような人に参加したいと思ってもらいたい。いずれにしても、私ではない誰かと、その向こう側にいる人へのきっかけにしたい。

その『きっかけ』的なものを再構成して設営し、映像などの資料として残すことを今回のイベントの目的と設定し直した。AirTが着られないTシャツであるように入れないイベントとして提示することにした。

入れないイベントなので、プレゼンは語らなくてもよいように作り直した。設営する内容も考え直した。イベント当日は、見ようと思えばドアの隙間から覗けるように設営し、イベント趣旨を書いた紙をドアに設置した。

それが3週間前のことだった。設営後は開始時刻に施錠して、主催者も会場を後にする、という文字通り誰も入れないイベントとなった。「それがコンセプトなの?もっとうまくやる方法あったんじゃないの?」など思う方もいらっしゃると思う。が、これが今の私たちにできることだった。少なくともこのコロナ禍の状況に反応した結果だ。

人が息をしないと生きられないように、なんらかの活動にはオンライン、オフラインとか、ものの大小を問わず、"イベント"的なものが必要だ。いわゆるイベントじゃなくとも小さな呼びかけだとしても。AirTにもそういう"イベント"は必要だ。

その"イベント"はコロナ以前に考えていた『イベント』なのだろうか?それともコロナと共に生きている今行われているリモートの集いなのだろうか?もっと違う形態なのだろうか?

はっきり言って今はわからない。状況によってその時にできることを考えるしかない(例えば、請われれば、紙のTシャツ・AirTのテンプレートを持参してどこでも出張するつもりで、ウェブサイトにはそう記載している)。状況を捉え、変化に反応するようなことを3年後(例えばです)の私はできるだろうか。少なくとも、そのような身体性を持てるようなチームでありたい。そんな風に今は思う。


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