ゲームを起こさない
最近勉強していた心理学のうちの1つである交流分析。
その中で学んだ「ゲーム」 について書きます。
上記にあるように、交流分析とは自身と関わる人との関係性や、関わるときの自身のコミュニケーションに着目するものです。言わば自分で自分を律し(自律性)、自分OK他者OKの状態を目指します。
https://kokoro.mhlw.go.jp/e_transaction/data/e-learning.pdf
この交流分析の中に、ゲームと呼ばれる事象が出てきます。
ここでいうゲームとは遊びや楽しいものではなく、不快なコミュニケーションのことを呼んでいます。
具体例を見てみましょう。
思春期の息子と母親のやりとりが想像されますが、こういったやりとり、仕事のシーンでもないでしょうか。
「会社の業績が悪い、上司や経営陣がしっかりしていないからじゃないか、もっと方針を示してくれないと困る!」「こっちは色々考えて行動している!そこまでいうならお前がやってみろ!」「それは自分の業務範囲じゃない!押し付けるな!」「じゃあ文句言わずに今の業務でもっと結果出せよ!」…
売り言葉に買い言葉みたいな事象、まさにそれはゲームです。
例えばこんなゲームがあります。
世話焼き
さぁとっちめてやるぞ!(さぁつかまえたぞ!)
はい、でも(イエスバット)
値引き(ディスカウント)
キックミー
これらのゲームの詳細や、なぜ仕掛けてくるのか、仕掛けられた場合どのように解決するのかは以下の記事に記載がありますのでご覧ください。
人間誰しも認められたいよね
ゲームを仕掛けてしまう、仕掛けられてしまう、その原因は「承認欲求」にあります。認められたい人がゲームを仕掛け、認められていない人が仕掛けられる、この関係性のずれが起こすゲーム。
認めてもらうために相互理解が必要、みたいなふわっとした結論で終えようとしましたが、もう少し深く入り込んで「認めてもらう」ことについて考えてみようと思います。
「誰に」「何を」認めてもらいたいか、そしてその欲求は「なぜ」出てくるのか。人間我儘なもので、この3つを満たしたいと思っているのかもしれません。
「あの人、意外に色々考えているんだ」って認識してもらいたいから
会社の人たち、特に同僚に
僕の考えているnoteを見てもらって
「あの人の考えは深い」って知ってもらいたい(≒認めてもらいたい)
とか…(ちょっと強引)。
なぜは表出化していないし、本人も言葉にできないかもしれないけど、認めてもらいたい対象者はいるし、これを認めてほしい、という対象は割と明確なんじゃないかなと思います。そして求めている「認める」の水準も持っているんじゃないでしょうか(褒めるだけじゃなくて、給与を上げてくれ!みたいな期待値)。
こうやって考えると「認める」って難易度高いなあって思います。
認める側にも認めてもらいたい側にもなることがありますが、認めることの難しさを実感すると、認められる期待値って意外に低くできるかも?それが大人になる・大人な振る舞いかもしれません。
一方で、認めてもらうにはちゃんとアピールしないと!
ただでさえ認めることの難易度って高いのに、認めてもらいたい側が恥ずかしがって出し惜しみすれば、余計に認められなくなってしまう。
認めてもらうために、十分なアピールをすることって決してひけらかしでも恥ずかしいことでもなく、必要なアクションだなって感じました。
十分に認められていない人は、ゲームを起こすんじゃなくてアピールをする、アピールを改善する必要があるかも。
認める側は、この機微を察知し、目の前にいる「あなた」をまず肯定するところから。肯定的に受け止めて、その上で認める水準をお互いすり合わせる必要がありそうです。
…僕良いこと言ってますよね?良い人ですよね?
ゲームを起こさない、その先は
ゲームが起きないということは、「お互いを認め合えている」「お互いに期待していない」のどちらかかと思います。もちろん前者の状態で起きていないことを目指したい。
お互いが認め合えたその先には、誰かのために自分の時間を使える、そういった貢献や人を幸せにしようとするアクションが溢れているようにも感じます。良い行いをした方が幸せを感じるなんて言いますが、ゲームを起こさずに幸せに過ごせるアクションをどんな時でも起こしていきたい。
そのためにはゲームを仕掛けられた時に終わらせる方法を知っていること、仕掛けてしまう状態を自分自身が認識し、未然に防ぐこと、恥ずかしがらずに褒めてもらいたいことを伝えたりアピールすることが大事ですね。
僕の場合余計な一言を言ってしまうことがあるのですが、これはゲームを仕掛ける癖があるってことなんだなと認識しています。この認識からスタートし、防ぐことをやっていかなきゃ。癖やパターンを探って改善していきます。
みんなから好かれる必要はないかもしれないけど、わざわざ嫌われる必要もない。そうやって自分と向き合って、自分と関わってくれる人と良い関係性を築けるようチャレンジしていくのみです。
…僕良いこと言ってますよね?良い人ですよね?(2度目)
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