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2018マチュピチュの思い出

かなり前のことだけど、2018年のお盆休み、10日間でペルーに行ってきた。ツアーじゃなくて個人旅行。

初の南アメリカ大陸。初の英語が通じない国。思ってもみない体験がたくさんできて、人間としての生きしぶとさが、ちょっと上がった気がする。

①40時間のフライト

「お盆休みをフルに使って海外旅行なんて、高くて大変なんじゃない?」そう思われるかもしれない。ぼくは安く済ますために、大阪-ソウルのLCCと、ソウル-リマ(ペルー)の往復を別途手配した。合計往復約15万円。

 行きは大阪→ソウル→ロンドン→サンパウロ→リマ、帰りはリマ→マドリード→ローマ→ソウル→大阪。一般的なルートはアメリカ乗継だけど、それと比べ半額近かった(時間は2倍かかるけど、丸2日で15万円も稼げないし…)。

 乗継時間が長いとこでも3時間しかないのに飛行機2時間遅れたり、航空券は各空港で発券と言われたり、発券前しかできない乗継荷物検査で航空券持ってないこと咎められたり、いろいろあったけれど、無事でした。
 丸二日間、横にならず、シャワーも浴びてないのがしんどかった。行きはリマのホテル、帰りはソウル空港のシャワーが、本当に昇天ものだった。

 ちなみに、LCCと長距離便の別途手配での乗り継ぎは、決してお勧めできないです。どちらかが遅れても補償はないので、下手すると旅程がパーになってしまいかねない。

②スケジュールを守らない飛行機

 丸2日かけて辿り着いたシャワー、もといペルーの首都リマは、灰色の街だった。空気は埃っぽく、目線を上げれば灰色にかすむ。一泊してからさらに、国内線でかつてインカ帝国の首都だったクスコに飛ぶ。ガイドブックには「有視界飛行のため、よく遅延する」と書いていて、いやな予感がする。国内線なのに、チケットには「2時間前に空港に来て下さい」。9:50の便だったので、どきどきしながら、8時前に空港についた。出発情報を見ると、案の定、遅延。出発は、11:30になっていた。早すぎたと、後悔した。

 とはいえ、仕方ないので空港で待つ。人でごった返していて、活気があるというよりも雑然としている。売店で買ったサンドイッチは、意外にもおいしかった。

 1時間ほど待つと、なぜか人が並び始めた。見れば、いつの間にか出発が10:30に早まっている!でも出発の50分前から並び始めるものだろうか?とりあえず列に加わっていると、そのまま機内に案内されてしまった。

 座ると、乗務員が人数を数えている。2回目のカウントで、だいたい乗ったと確認できたのだろうか、出発した。結局、10時発だった。

 時間を守るって、何だろうと思った。

 有視界飛行だからか、飛行機の窓からの景色は美しかった。はるか連なる山ひだの緑と、建物の淡い朱色が、忘れられないくらい美しくマッチしていた。

③タクシーの値段交渉

 クスコの空港を出ると、タクシードライバーがわらわらと集まって来る。行き先を言うと「〇※★△!」 きっと値段を言ってるのだろうが、現地の言葉でわからない…

 なんだかわからないまま、でも車乗らないとあかんのでとりあえず乗ってみたけど、不安でいっぱいだった。生きた心地のしないドライブだった。

 車のなかで悩んだすえ、この次のときは、タクシー乗るとき、「Who can speak English the best?(英語、一番上手くしゃべれる人!)」と聞いた。そうすると、群衆はなんやかんや言ったものの、英語しゃべれるドライバーさんを捕まえられた。生きた心地つけるドライブだった。

 物価の安い国、タクシーなんて、高くて200円。そのうち数十円高くなったとしても、多少コミュニケーションできる安心感は半端なかった。

④値札のない街

 ことばの通じない乗合タクシーで向かった町は、オリャンタイタンボ。マチュピチュに行く列車の大半の出発地であり、旅行者が一度は腰を落ち着ける街。そしてインカ帝国の遺跡の山の真下で、アンデスの人々が交易し栄える町。
 インカ時代からの石造りの用水路が街全体に張り巡らされ、さらさらと清冽な音を響かせていた。ガス灯の穏やかなオレンジに照らされた夜の下を民族衣装を着た人たちが行きかう。東京のような気疲れする喧騒とは異なる、人間味あふれる活気のある街だった。

 さてこの町、びっくりしたのが値札を見なかったこと!個人のお店はもちろんだけど、「ampm」という看板がかかったチェーン店っぽいお店まで、値札がなかった。

 値札がないぶん、コミュニケーションがはかどる。人の笑顔が印象的な街だった。

⑤マチュピチュの絶景

 電車を乗り継ぎ、さらに麓町で前泊し、早朝から山に登る。そうして苦労を重ねている間は、きっとマチュピチュなんて、テレビで見るのが一番だと思っていた。そう、例えば花火大会も桜の花見も、テレビで見るのが一番きれいな画像だ。

 夜明け前からマチュピチュ行きのバスの列に並び、暗い中、山を登る。山は一部人工っぽく、日本の城塞建築みたいだ。斜面がけわしく、息が切れる。はるばるここに来たことを後悔したそのとき、向こうの外輪山から朝日が昇った。ダイヤモンドのようなその光が当たりを神々しく照らしたとき、信心なんてかけらもないぼくでも、美しさのあまり神に祈る気分になった。これまで写真で見たのの、1000倍は美しい。

 美しさが、ここまでも、人を打ちのめすのかと思った。

 死んでもいいさえ、思った。

⑥登山きつい

 出発前に日本にて、遺跡とセットでマチュピチュ山の登山を申し込んだ。マチュピチュの遺跡は、二つの山の間の鞍部(尾根と谷が交わるところ)で、そこからどちらかの山頂にのぼり、遺跡を見下ろすことができる。マチュピチュ山は高いほうの山で、遺跡から標高差約1000m。じつはぼくは海外の山登りは初めてで、楽しみにしていた。

 歩いても聞こえてくるのは英語を中心とした外国語ばかり。ようやく辿り着いた山頂から見下ろすマチュピチュは、格別だった。遺跡だけでなく、遠く氷河に閉ざされた山々が見える。

 登った人が皆、神に感謝していた。アンデス山中、標高3000mを超える登山はたしかにきつかったけれど、体を使ったからか、いま思い出すと一番忘れられない経験になった。

⑦ドライバー

 帰りも乗継はオリャンタイタンボの街。ここで1日余裕があったので、観光しようと思った。民宿のフロント?番台?で「明日は丸1日観光したんだけど?」と聞いたら、ドライバーの手配をしてくれた。

 翌朝、迎えに来てくれたのは、ふつうのカローラみたいな車(Yarisというブランド)。ジープとか変な車じゃなくてよかったと、すこし安心した。

 でも、幹線道路を5分ほど走ったら、そこからあやしい道に入っていく。

https://goo.gl/maps/w1ZNSJoq3ZG2

 ここに見える、未舗装の橋を渡り、左に曲がって列車のプラットホームらしきところを車でそのまま走り、車体がぐわんぐわん揺れる未舗装の赤土を進んでいったときには、生きて帰れないかもしれないと覚悟した。

 そこから登って出会えた景色は、言葉にできない。いまでも、アンデスの高山の草原に羊を放牧して生きる人との出会いなど、忘れられない思い出になった。

 お昼すぎ、ドライバーは遅めのランチと言ってお店につれてきてくれた。せっかくいい景色見せてくれたし「おごってあげる」と言うと、なんとドライバーも一緒にお酒を飲み始めた!
 「一杯だけだよ」と話したら、しぶしぶ運転し始めてくれたものの、出発地の街に戻る直前に警察につかまり、罰金払ってました笑
 警察に泣きを入れようとしてうまくいかないときの表情は万国共通だと思った。

⑧やっぱりスケジュールを守らない飛行機

 せっかくペルーに来たんだからと、マチュピチュからの帰路、帰国前にナスカの地上絵を見に行った。日帰りの現地ツアーに申し込み、ペルーの首都リマからバスに延々ゆられ、拠点となる小さい空港に行く。
 もともとツアーの予定表には、昼食前の11時からフライトと書かれていた。
 着くとなにか様子がおかしい。まず、本来レストランに食べに行くはずだった昼食を、出前でもってきてもらった。焼きそば混じりの焼き飯?で、なかなか美味しかった。でもまだ飛ばない。
 さらにまだまだ時間がかかるというので、近くのオアシスで砂漠をバギーで楽しんだ。砂漠は意外に穴ぼことかがあり、5mくらいの落差をぐわんぐやんと行ったりきたりするのが、めちゃくちゃ楽しかった!! 最後だった!!

 で、結局ナスカの地上絵への出発は16時だった。

こんな小さいセスナ。ワゴン車くらいのスペースしかない。それなのに、地上絵を見るときは、右列の人が見やすいように右に30°くらい傾いて回ったあと、左列が見えるように左にまた傾いて回る。たしかにふしぎな絵だと思ったけど、それ以上に乗り物酔いに弱い友人がげろげろになってたのが印象的だった。

⑨まとめ

 この旅行は2年前だけど、思い立って行って良かったと思っている。いまはなかなか海外旅行も難しい時代だし、できない理由なんていくらでも言える。だからこそ、できる機会が、本当に貴重で大切なんだと実感している。
 地球の反対側でさえ、思い立った一週間後に行けるんだ。
 これからも、また今度こそ、また見知らぬ土地に行ってみたい。

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