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男と女の間に友情は存在するか

「存在する」

永遠の問題である。最近会社の部下と大激論を交わしたので埋もれないためにもここに記すことにする。思春期あたりによく登場する所謂「恋バナ」だが、大人になってもこの話題はとても白熱した。

まず、友情とは何かを定義するのが難しい。利害なのか、利害以外の何かなのか、その結びつきを司る物質やフェロモンのような具体的なインターフェースが見当たらない。生存確率をあげるために徒党を組む機能なのかもしれないが、それは友情という形を取らずとも契約やコミュニティに参加という形でも言えることなので特段友情だけの特徴とは言えない。

オキシトシン(人と触れ合うことで出る幸福ホルモン)を得るために友だちになるのかもしれないがこれは恋愛にも言えることだ。

恋愛は、直接インターフェースを観測できなくとも、子孫を残すためにDNAが用意した機能だということは明確なので間接的にインターフェースはあると言えそうだ。

友情というものが定義できない以上話は進まないので、「恋愛の初期段階」という定義を仮置きした。これなら、矛盾が現れない。必ず友情から恋愛は始まり、友情が進んでいくと恋愛に発展するという理論だ。

一目惚れの恋愛はどうなんだというと、友情の期間が観測できないくらい微小な時間ということだ。

さらに、「一生の友達」とかはどうなのか、これは恋愛に発展する前に死期を迎えたということで説明できる。

同性間の友情はどうなんだと言われそうだが、これも恋愛の初期段階と言ったって差し支えない。最近はLGBTqの考え方も進化して、性別、強いては恋愛対象の性別は切り分けられないグラデーションのようなものだという論調だ。異性が恋愛対象の人間でも数%は同性が好きなのかもしれない。グラデーションということは、ゼロというのは考えにくい。同性が全く好きじゃない人間はいないのかもしれない。

以上から、異性間でも必ず友情は存在する。ただし、友情期間は限りなくゼロに近い場合もある。

ということになる。友情の定義があっている事が前提なので、新たな矛盾などで友情の定義が覆れば、まだ見直すことになるであろう問題だ。


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