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「それ、仕事し過ぎのサインかもしれません」の記事は見かけるが「それ、遊び過ぎのサインかもしれません」の記事は見かけないのはなぜか

需要がないからだろう。

「それ仕事しすぎのサインかもしれません」という警鐘コラムをよく見る。
いささか食あたり気味だ。

「それ、遊びすぎのサインかもしれません」という警鐘を鳴らすコラムが少しでもあれば気にならないのだが、全く見ない。需要がないからだろう。

こういったコラムの中でも、働きすぎと思っている人達に場当たり的に記事を投下して共感を得ようとしているような、なんだか取るに足らない当たり前のことを言っているものは特に目に余る。

こういった「働きすぎ危ないよ」の記事がいかに当たり前のこと言っているかを体感するために、「仕事」を「けん玉」に変換してみた。

「それ、けん玉し過ぎのサインかもしれません」というコラムをお届けする。

https://forbesjapan.com/articles/detail/48640

この外国の専門家による仕事しすぎのサインについてのコラムで、
「仕事」を「けん玉」に変換するだけで、「何当たり前のこと言ってんだ」感を感じることができる。ぜひ楽しんでください。


けん玉のことを考えるのをやめられない

けん玉し過ぎている人は、「常にけん玉がオン」の状態でなければならないと感じがちだ。その結果、後れを取ることを恐れて常にけん玉の棒やけん玉の玉を確認している。1日の終わりや週末にけん玉からなかなか離れられない場合はけん玉し過ぎのサインだ。

定期的に残業(居残り練習)をしている

特別なけん玉プロジェクトがあるときの居残り練習は珍しいことではないが、皆のけん玉技術についていくためだけに夜も週末も定期的にけん玉する必要があるのは別物だ。居残り練習がいつものことになれば、それは赤信号だ。

情熱がなくなった

けん玉し過ぎを示す別のサインは、けん玉への情熱を失うことだ。毎日、1日に非常に長い時間けん玉しているときに充実感を感じ、キャリアについてわくわくした気持ちを持つのは不可能だ。けん玉練習に行くのを恐れているようであれば、それはけん玉道場で過ごす時間が多過ぎる可能性を示している。

常に気が散っていると感じる

けん玉し過ぎている人は簡単に気が散ってしまうかもしれない。ストレスにより、長くて終わりのない技リストについて考えるようになり、このように感じてしまう場合がある。1日を通して集中力を保てないと感じる場合は、けん玉し過ぎを意味しているかもしれない。

生産性が下がっている

直感に反しているように聞こえるかもしれないが、けん玉し過ぎると技の品質は下がる。これは、あなたがあまりに多くの技をこなそうとし過ぎてどのけん玉技にもきちんと集中できなくなることが理由だ。けん玉にあまりに多くの時間をかけていると、個人的な活動や義務もなかなかこなせなくなり、家族との生活にも支障をきたしかねない。

簡単なタスクにエネルギーを費せない

けん玉し過ぎている場合、脳が圧倒されているように感じる。いろいろな考えが頭の中を駆け巡っている場合、簡単な技さえ完了することが難しくなるかもしれない。その結果練習が遅れる可能性があり、そうなればさらに多くのストレスが生じる。

人間関係がうまくいっていない

最後に家族と夕食を取ったり、子どもを寝かしつけたりしたのはいつだろう? 長時間練習により人間関係がうまく行っていないのであれば、無理し過ぎているサインかもしれない。

常に先延ばしにしている

けん玉大会が近づく中で日中にインスタグラムをスクロールしたりオンラインショッピングをしたりしているようであれば、それはけん玉し過ぎを示している可能性がある。あまりに多くの課題を抱えている場合、先延ばしにすることが対処メカニズムとなる。これはちょうど良い逃避に思えるかもしれないが、プロジェクトがさらに遅れるため最終的にはさらにストレスが増えかねない。けん玉で成功を収める上で、けん玉し過ぎは必要ないことを理解しよう。それよりむしろ、より賢くけん玉し健全な境界線を作ることで、あなたにふさわしいバランスを達成できる可能性がはるかに上がるはずだ。

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