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戸田真琴と飯田エリカの保健室を聴いて ルッキズムについて 表現について

戸田真琴さんすごい。

ここ一週間で戸田真琴さんの番組(リボンほどいて)の全9回を聴き、これはすごい人がいるぞと。

穏やかな話し方に、深く優しい(慈愛というのだろうか)考え方が伺える。
たとえば、広末涼子さんの不倫問題にとやかく言うことが許せないという意見に同意するし、三井寿に愛ある悪口を言っているのは大笑いした。

広末さんの件は、特定の1人に宛てた手紙を公開して嘲笑することが許せないと語っていた。そう思う。
少し脱線するけど、大森靖子さんのMっていう曲は戸田真琴さんが送った手紙を基にしたらしい。著書(後述の)で触れていたところ、ライブ会場で初めて聴いたときは戸惑いがあったよう。その後にMVの監督をするところまでストーリーが美しすぎる※

「私と言う存在の全てが恋でした」って、
詩的な言葉は良くわからない自分でも響いた。高校生のときに失恋した時の息苦しさとか追体験した。
大森靖子さんもすごい。
(※訂正補足 吉田豪さんとの対談動画を見て、主観的な出来事を聴くと印象が変わった。もっとドロドロした感情で、美しいじゃ済まないような出来事だったみたい。一面的な見方はよくないと思い反省。しかし、歌にした・されたことで、制作に向き合わせるという意図なき必然のよう何かを感じた。完全和解とかそういうことではなく、お互いリスペクトの上で対話しているような印象)

最新の著書「そっちにいかないで」も良くて、こんなにも素敵な人がもっと生きやすくなるような世の中をつくりたいと思ったりした。
生きづらい世の中をつくっているのは自分を含めた世界だから、自分も加担してしまっている。


どうも、生きづらさを抱えてるけど頑張ってるんだな美しいなという人を応援したくなってしまうようで、そんな自分はどうなんだろうと思うところもあるけど、iDOLに惹かれてしまうのは多くの人がそうなんだと思う。自分も頑張ろう。

そんな流れで聴いたタイトルの番組に痺れた。
まだ序盤だけど、カメラマン(人間というマン)の飯田エリカさんとの対話が心地いい。信念を持っている2人の話は棘がなくて優しい。棘があったとしても、それは必要なことだと理解しようとできるくらい優しい。

ルッキズムについて、戸田さんが「自分が選択できないことをとやかく言うのはよくない」という旨の話をしていて痺れた。顔も身長も性別も選べないのに、とやかく言われるのは理不尽で残酷だ。

一方、芸能の世界で歌やダンスや演技、アートの世界は自分が選んだ表現だから、各々が自分の軸で表現を味わうことは大切なこと。みんなが好き(嫌い)だから〜というのは味わっていない。

合う合わない、好き嫌い、役に立つ立たない、世界観が変わる変わらない、技法の良し悪しとかは批評として許容される。
ただし、あくまでも表現に対してのことであって、人格に踏み込んではいけない。(例えば、サッカー選手がシュートを外したとき、チャンスに弱い性格のせいだとかいう解説者はダメ絶対)

世界観や技法をとやかく言うのは批評という人間にとって大切なことだから良し(傷つくけど)と思うけど、選べないことに対して批評(意味するのは批判)するのは絶対に違う。

他にも、優生思想に真っ向から否定できる芯と論理があったり、易しいことばを積み重ねて伝えるスタンス、自分の価値観が絶対ではないという客観性も感じられて、この人はすごいと。

追っかけている最中、まだまだたくさん聴けるので、人生が一つ楽しくなった。有り難うと思う。




感謝(驚)