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父親になって3年...

息子が3歳になった。
妻からは「パパもお父さん3歳だね」と言われて、父親としての自分を振り返るとともに僕の父についても思い出していた。

両親は僕が3歳のときに離婚しており、今の父は4歳のときに母が再婚してからの父だ。
今回こういう書き方をしているけど、「血がつながってない」とか意識したことはない。

理由は簡単で、すごくたくさんの愛情を注いでもらって、血がどうとか気になる余地はなかったからだ。
父は典型的な九州男児で亭主関白、一言で言えば厳しかった。

小さい頃は良かったけれど、中学高校あたりでは父が日曜日に家にいるのが嫌だった事も覚えている。
寝起きは機嫌が悪い、同じことを2度言うと激怒、常にお伺いは母を通してだったし
20歳をすぎるまで自分の意見を言うなんてとんでもなかった。

周りからは「あのお父さんでよくぐれなかったね」と言われる。

「息子を1人前の男にしなければ! 親がいなくなっても1人で生きていけるように、家族を守っていける男に育てないといけない!」

父はこんな気持ちが人1倍強くて、長男である僕を厳しく育てたと母から聞いた。

そして3年前、僕も父親になった。
みんなすごく喜んでくれたけれど、父親は少しだけ寂しそう。
母に聞いた、「生まれてくる孫は、血がつながっていないから自分とだけは似ていることは絶対にない」と寂しく思っているんだと。

僕は血がつながっていないことなんて完全に忘れていた。
でも父が気にしている気持ちもなんとなくわかる。嫌とかつらいとかじゃなく、「寂しいんだ」と思った。

子供がお腹の中で男の子だとわかったとき、妻に頭を下げた。
「子供の名前を、父に由来したものにしたい…」
父は「けんじ」息子を「けんせい」と名付けた。

妻は僕の気持ちを理解してくれた。このときの気持は一生忘れない、ありがとう。

名前を「けんせい」にしたことを伝えた日から、父は見違えるように嬉しそうだった。
「俺のけんの字をとった、俺の孫だ!」と、そこに寂しそうな雰囲気は一切ない。

少しは親孝行ができただろうか。

そして今
僕の子育てのやり方は、父親とは180度違う。
父には感謝しているが、愛情があることとやり方が良いこととは比例しない。
刻々と時代が変化する今は、自分も勉強し続けなければならない。(今良いと思った教育が、息子が大人になる20年後も良いとは限らない)

そうは言っても
本人には照れくさくて言えないし、この記事も身内には見られないだろうと恥ずかしいことばかり書いているけれど、誰よりも父のことを尊敬している。

それは、自分が父親になってから更に強くなった。

父から受け継いだ「何があっても家族を守る」といった意志と、「息子のために本当に良いことはなにか?」を自分に問い続ける姿勢を持って、これから父親として成長していく。

まだ父親として3歳。年数じゃないけど始まったばかり、嫌われても全力で息子とぶつかっていきたい。

理解があり、息子を生んでくれて、こんな僕と一緒にいてくれる妻に感謝を
周りの支えてくれる家族や友人にも感謝を

これからもがんばります。

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