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アジカントリビュートを聴いた私の話。

地元のGEOで借りて、パソコンに読み込ませた数多のCD。そんなデータの中から、不意に聴きたくなった1枚を探した。

「夏の日、残像」
一文字目の「夏」で検索をかけてみた。変換しそびれて「なつ」とひらがなで打ってしまったから、出てこなかった。気を取り直して漢字変換。あれ、出てこない。実家のパソコンから、今使っているノートパソコンに転送失敗してたことに気づかなかった? とりあえず軽くショックを受けつつ、不明なアーティストに分類されてしまった曲の中を探す。

すると、ありました。タイトル名がトラック1からトラック13で読み込まれていたけど、見つかったことにほっと一安心。横には、音楽を聴く少女がアップで描かれたジャケ写も表示されている。あ〜、やっぱ好きだな、と感覚がよみがえる。

お待たせしました、自分。
満を持して、再生をクリック。
1曲目「ソラニン」。yonigeの牛丸ありさちゃんの歌い出しで、何かが全身を駆け巡る感覚。
と同時に、私の心も騒がしくなった。

この胸のざわざわは、
ノスタルジーなのか
当時の生きづらかった苦しさなのか
あの頃の仲間との肌感覚なのか。

頭の中で、
コンマ数秒でカットが怒涛に切り替わり、
大サビで青空のもと、海辺を半袖と膝丈まで折ったスカートで走り出す制服少女が見えるような感じ。

イヤホン大音量で乗った通学電車、同じ方向に向かう人たちに、わけもなくムシャクシャしながら歩いた通学路。

早く学校に辿り着きたかったけど、
学校は私の居場所じゃなかった。
それでも向かう場所はそこしかなかった。
どこにもいけない私だった。

あー、、、あーーー!!!

確信的な何かを思い出すでもなく、
記憶より先に、身体中の神経に訴えられてる感覚。落ち着いているのに、身体がハイになってる。

間違いないのは生きていたってこと。
あのときも今も確かに生きていた。
あれから変わったことは思い浮かばないけど、きっと変わったところがあるのだろう。その差異に音楽が染み込んできて、
身体が疼いてしょうがないんだ。
そう思った。

そんな備忘録。

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