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田舎人と東京の空の塔

上京してから一度だけスカイツリーのふもとまで行ったことがある。浅草寺から自分の知っているスカイツリーがだんだんと大きくなる過程が良かった。さすがに入場口までは行けなかった。料金を知っていたので、登らないで引き返す未来が見えていたし、それによって受付の人との気まずい空間さえあり得ると思ったから。

地元と東京を行き来するのにいつも通る高速道路を俯瞰で見たのは初めてだった。アサヒの例の黄金のあれを下から見た。

頻繁に帰ることはないにしろ、何度この高速道路を通って来たのだろう。どこからが首都高か、それさえも分からぬまま、感情を無にして乗ることはない高速バスに揺られる。その度に右手に見えるスカイツリーをカメラに収めてしまう。スカイツリーへの憧れなんてないはずなのに。スカイツリー開業のときでさえ、冷めた目で見ていた子どもだった。実家に着いてふとカメラロールを見返すと、数ヶ月遡ったところにも、同じ構図のスカイツリーをいくつか見つけた。同じ感動を何度も繰り返している。新鮮味を感じている。

自分の中にある矛盾に気づいてしまうのが、私とスカイツリーとの関係性である。

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