住友信託銀行・日本長期信用銀行合併問題の思い出(法務の一担当者として)

日経新聞「私の履歴書」で高橋温三井住友信託銀行名誉顧問の連載が掲載されたのは10月のことでした。
1998年当時の住友信託銀行と日本長期信用銀行の合併問題が起こったときに、私は住友信託銀行の法務の担当者でした。
その時のことを少しお話ししたいと思います。
私の記憶に基づくものです。不十分不正確な点があることは、お許しください。

当時の住友信託銀行の社長が高橋温様。
長期信用銀行との合併問題が突然浮上しました。
当時の法務部長天野様から、「合併というのは大変な問題だ。法務部としてどのような問題があるか整理しておく必要がある。」とのことで、私が担当に指名されました。
合併について深い知見をもっていたわけでもなく、社会保険労務士としてたまたま合併の時の人事の問題について、少し調べていたことがある、それだけの理由でした。
誰が担当になっても、スタートラインは同じだろう、というだけの英断?でした。

現在と違って 当時の会社法等には、親子会社法制とか会社分割といった現在のような法整備は行われておらず、企業が一緒になるなら、合併以外の選択肢はほとんど考えられない時代でした。

合併について「企業同士の結婚」と考える人が多いかもしれませんが、大きな間違いです。
結婚は、あくまで別々の人格が世帯を同じにするだけです。それこそ別居も離婚もありうるのです。
法人の合併は全く違います。2つ以上の法人格が一緒になり、1つの法人格以外は消滅してしまうのです。もはや別居も離婚もあり得ないのです。

この問題の一番わかりやすい例は、不良債権・隠れ債務等があった場合です。
合併してしまってから、とんでもない隠れ債務があった、大変な傷ものだった、そんなことが分かっても手遅れです。
従って合併前には、当事者は徹底的なデューデリジェンス(資産査定)を行い、お互いの情報を開示し合う必要があります。
企業が一緒になる以上、当たり前のことであり、基本の基本です。

高橋様の「私の履歴書」をお読みいただいたらわかるように、その当たり前を当時の住友信託銀行は高橋社長の下で毅然として主張したのです。
その当たり前を無視して、ともかく、合併させてしまおう、としたのが当時の政治家、大蔵省、日銀だったのです。

「住友信託銀行と日本長期信用銀行の合併交渉は1998年6月26日、意図せざる形で公になった。その後は速水優日銀総裁、田波耕治大蔵次官、日野正晴金融監督庁(現金融庁)長官ら当局首脳から合併実現を促す電話が相次ぐ。
長銀救済へ「住信の退路を断つ」思惑があったのかもしれぬが、私はむしろ良い機会と考えた。
交渉が衆人環視に転じ、我々を含む関係当事者が透明性をもって事態に臨む状態になったためである。」

その前後に、私は法務の担当者として、合併の法務問題について、次々とメモを作っていきました。様々な質問を受けその回答も作っていったと思います。
法務部長を経由して、関係の部長に、おそらくさらに経営層にメモは届いていたでしょう。
高橋社長はじめとする経営層の覚悟を裏付ける上で、それなりの役割を果たすことができたと思います。

改めて強調したいのは、一介の法務担当者のまとめが社内で共有され、認識を共通にして、会社が一丸となって事に当たる、当時の住友信託銀行には、そのような気風があふれていたのです。

その姿勢は、その後の三井住友トラスト・グループ(三井住友トラスト・ホールディングス株式会社を持ち株会社とした、住友信託銀行株式会社、中央三井信託銀行株式会社及び中央三井アセット信託銀行株式会社の3社が合併した三井住友信託銀行株式会社)にも、脈々と受け継がれていると思います。

様々な大規模不祥事を起こす企業・組織には共通の特徴があります。
経営者あるいはトップが現場担当者の意見を無視して暴走すること、担当者ももはやこれまでと諦めてしまっていることです。

みずほ銀行合併時の大規模システムトラブル。現場の担当者からとてもシステム統合はできない、という悲鳴を経営者は無視したのです。
東京電力福島第一原発。大規模な津波の予測を指摘する担当者の声を、経営者が無視したのです。

私の古巣は、そうではなかったのです。
一介の担当者の声に耳を傾け経営に生かす気風が、会社を守り抜いたのです。

【その後】
3つの銀行の合併直前の2012年3月には、大きな不祥事が起こりました。
「中央三井アセット信託銀行株式会社が運用するファンドで株式売買につきインサイダー取引規制違反の事実が認められた」として、課徴金納付命令を受けたのです。
2012年4月の銀行合併直後は、この問題の対応に大変な労力を費やすことになります。
これはまた別の機会にお話ししたいと思います。
そのとき私は、社内のコンプライアンス研修を担当し、コンプライアンス意識の醸成・コンプライアンス体制の確立に担当者としていささかの汗を流しました。

銅鑼猫(社会保険労務士玉上信明)


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