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議事録はその場の合意を言語化するツール

前回、チームにイエスマンがいないという話を書いてから、早くも1ヶ月が経とうとしています。

当初ここには、「先月と先々月は最終日滑り込みでしたが、今回はなんと最終日ではない!まだ1営業日残っています。ちょっと成長しました!」なんて書いていたのですが、結局手直しが間に合わないまま今月も無事最終日の投稿です。対戦ありがとうございました。

さて、今月はDeployGateのお知らせをプロダクトのMediumの方でがいくつか出させていただいており、社外からも見える動きが出始めています。そんな中、今のチームの良いところをまた見つけたので、今回はそれについて書きたいと思います。

レトロスペクティブで挙がった課題

デプロイゲート社では、週次の振り返り会(レトロスペクティブ)をやっています。事前に気付いた課題をスプレッドシートに書いておく運用なのですが、毎週必ず挙がるわけではなく、何もないときは雑談を振って終わりにしています。そんな会なのですが、今月前半次のような課題が挙がっていました。

ミーティングなどで議事録を作る時に、ミーティングに参加してない人でも概要がわかる程度のサマリーを議事録の方にできる限り書くようにしたい(自分もできてない)

課題があったとき、実際にはそれ自体が課題ではなくてもっと根本に課題があることがほとんどです。なのでこの会ではまず課題の掘り下げをしています。ここでは、「議事録を見たときに次のアクションがなかったり、会議中に用いていた別のドキュメントへの参照がなかったり、参加していない人が追えない議事録が散見された」ことがきっかけでこの課題が出て、まずそれに対して、議事録の記録の負担がファシリテーターに寄りがちなのが課題なのでは、という議論が起きました。

  • 議事録を作る時点で議事録担当を明示するか、そもそもローテーションするのがいいのでは

  • 議事録はGoogle Docs上で共同編集しているのだから、みんなで手伝うのがよいのでは

  • 前職では全員が書くことに意識を使うともったいないので指名するというのをやってたよ

などなど、解決に向けた案が出てきます。そんな中、「そもそも議事録の目的次第では」という新しい視点が投下されます。

「議事録は基本的には合意を取ったというメモであって、書かれてなかったら何も合意を取っていないのと同義」
「参加している人は合意したという点について責任があるはず、それが残っていないというのは、そもそも大丈夫なのか」

確かに議論の枝葉末節より、決まったことが明確に分かり、その場の人間が何に合意したのかということがクリアになっていることのほうが本質的に重要です。そもそも「ミーティングを終える時点で、メンバー全員が何に合意したのかの認識がしっかり握れている」ことが明確でないことが課題という認識に至りました。

こうして、その場でこれからのデプロイゲート社における議事録の方針が定められました。

  • ミーティングの議事録は「何を合意したのか」を書く、そしてミーティングの最後に「この議事録でよいか」を合意するようにする

  • 誰が議事録取るかは臨機応変に、全員で記録を補助する

めでたし、めでたし。

……という話で終わってもよかったのですが、この件については色々と思うことがありました。ちょっと長くなりますが、引き続きお付き合いください。

属人性の排除は議事録の主目的ではなさそう

この議事録に関する議論の最中、自分は3月頭に見かけた興味深いツイートのことを思い出していました。

一般的に、企業において属人性が高いという状態はネガティブな状態と捉えられていると思います。スキルやノウハウが個人に閉じると、スケールが難しくなり、事業の継続性が低下してリスクが高まります。それを避けるために業務内容の文書化やマニュアル作りといった「標準化」をすることで、リスクを回避しましょう、ということがよく言われています。

その中でも議事録は「共有することで会議に参加しなかった人も同じ情報を把握できるようにしたり、参加者が備忘録として議論を後で振り返れるようにするため」に書きましょう、会議という閉じた場で出た情報を共有することで、その情報の属人性を下げましょう、という位置付けのものだと私自身認識していました。

一方で、英語には「属人化」という状況を指し示す固有名詞が一般的に出てこないという点で、海外では日本ほど属人化自体は問題視されていないようです。自分の知る限り、アメリカの組織はクビになった人は有無を言わさず即日職場を離れるし、マネージャーが入れ替われば仕事のやり方がすべて変わるような環境です。「属人化」が問題になるよりも、組織の変化の頻度やスピードの方が圧倒的に早く、使われなくなることが既存の知識やノウハウを引き継ぐという概念は日本ほど重要ではないのかもしれません。

その一方で、組織においては「トランザクティブ・メモリー(transactive memory)」と呼ばれる「誰が何について知っている、ということを知っていること」が重要だ、という話は様々な文献で見かけます。

トランザクティブ・メモリーはその性質上、知識やスキルが属人化していることを許容する前提の考え方です。属人性を許容するのであれば、「属人性を下げるため」の共有を目的とする議事録の重要度は下がりそうです。しかし、実際には日本企業よりグローバルな企業の方が文書化は徹底されている印象があります。特異な例ですがGitLab社を例に挙げると、公開してるハンドブックは紙にして2,400ページを超えるめちゃくちゃな分量があり、議事録は全員でライブで残すことが求められています。

これらの企業における議事録のモチベーションの根源は、情報共有や引き継ぎとはまた別のところにありそうです。自身の多くはない経験からの仮説ですが、国や文化の異なる人達が集まる多様性の高いグローバルな企業では、「認識を合わせる」という行為自体に明確な言語化が求められます。特に第一言語ではない言語で何に「合意」するのかをクリアにするためには、明文化という行為は切り離せません。

その場の合意形成に曖昧さを残さないためにも、ライブに文字に起こされた議事録が必要で、その共有による副作用で属人性の排除が成されているのではないかと思いました。

これは我々が議事録を必要とする理由にも当てはまりそうです。様々なバックグラウンドを持つメンバーが増えてもスムーズに認識を合わせていくために、必要なのは「会話のログ」ではなくて「その場の合意の明確化」です。議論の子細や流れを分かりやすく残すことは重要ではなく、その場のメンバー全員が何に合意するのかを明文化して曖昧にしないことが重要です。ミーティング自体も、ブレストや特殊なミーティングを除いては「合意をすること」が目的です。

レトロスペクティブで議事録自体の目的が話題に上る中、自分はそんなことを思い浮かべていました。

新しい日々を自分達の手でつくる

さて、レトロスペクティブを終えて、デプロイゲート社には新しい目的を持った議事録文化ができたのですが、振り返って見ると課題の提起から合意に至るまでの動き、そしてそれが起きること自体とても素晴らしいことだと感じました。

メンバーが課題に感じたことを率直に挙げて、チーム全員が議論して、その場で合意を取り、その直後から反映される。8人という人数はまだ大きくはないですが、日本とスペインという時差のある環境でこのスピード感はなかなかだと思います。先月のイエスマンがいないという話に続き、そういうムーブができるチームなんだなと改めて感じました。

そして今月は「物事の進め方」も様々なところで変わっています。

DeployGateは今月立て続けにサービスに関するお知らせを3本出しました。これらの最初の2つは私が書き、3つめは yukari が書いています。

当初は、告知について全部自分で書いて出すつもりでいました。しかし、その部分を自分が握っていることで知識もノウハウも共有できていない状態になっていることを henteko から指摘してもらい、そこからメンバーに渡していくことになりました。これによって作業が分担できることはもとより、告知の作業と他ドキュメントの更新作業を同じ人が担当できるようになり、タイミング調整のコストが大きく下がるなどメリットも生まれました。

これまで全員でハンドリングしていたオンコール対応に当番制を敷いたのも今月からの新しい取り組みです。開始早々、これまで暗黙知となっていた部分が浮き彫りになっては即座に改善されつつ、PagerDutyのオンコールスケジュールとSlackのユーザーグループとの連携などの自動化を含めた新しい運用が確立されています。

改善の動きを実感するの図

オンコール当番制に向けた最初のミーティングの直後、議事録を見た kazuto がほぼ 1 日でオンコール用の時間外勤務管理の仕組みと手当の制度を整えられたのも、議事録改善の効果が見られた事象でした。どんどん日常的な動きが改善されている感じがします。

というわけで、議事録の話を皮切りにして、最近のチーム自身の手による物事の進め方の変化と、その成果のお話でした。長くなってしまいましたが、今月はこの辺で。来月はもっとライトに2本ぐらい書きたいな。

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