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自然農を始めて2年経ったので良かった事を紹介する

この記事は Feedforce Group Advent Calendar 2023 の 10日目です。昨日はアナグラム金子さんの死ぬ気で取り組んだ婚活が今にも活きている話でした。戦略的かつマッチョで、新規事業のPMFの話かと思いました。すごかった…。

婚活を通して生きやすくなられたということで、私の農に通ずるところもあります。それでは以下から本文です。

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コロナ禍をきっかけに、埼玉県のいわゆるトカイナカに移住して自然農を始めた。自然農とは、川口由一氏が提唱した耕さず、草や虫を敵としない農のことで、不耕起、草生栽培、無農薬・無化学肥料を基本とする。詳しくは私のバイブル川口由一氏から自然農を学んだ沖津 一陽氏の「自然農を生きる」を読んで欲しい。

始めてから2年が経ったので、良かったことを挙げる。

メンタルに良い

メンタルに良い実感があるので、理由を3つにまとめてみる。

1. 運動になる

我々オフィスワーカー・リモートワーカーは運動不足になりがちだ。ヒトは長い歴史の上で、動くように最適化されている(はず)ので、動かないと不調になりやすい。(私もなった)

妻は健康診断で週に2回30分程度の運動を勧められていたが、大きな機械を使わない自然農はこの要件に応えることができる。

最近は、休日の日の出から2時間程度農作業をしている。11月も後半を過ぎると冷えてきたが、農作業をしているとじんわり汗をかいて心地よい。

都内に住んでいるときは会員制ジムでダンベルを振り回していたが、今は畑で三角ホーを振り回している。ジムは続かなかったが、農は続いている。

2. 季節を感じられる

我々オフィスワーカー・リモートワーカーはオフィスや自宅にこもりがちで、季節を感じる機会が少ない。季節を感じることもメンタルに良いようだ。

農を行うと、季節と正面から向き合うことになる。種を蒔く時期は作物の特性によって決まる。トマトやナスは夏に蒔くし、ダイコンや菜葉は秋に蒔く。

ヒトに制約されるのはあまり好きではない性分だが、自然に制約されるのはなぜか心地よい。

春になるとダイコンにも花が咲く。秋にはカマキリの成虫をよく見る。冬には虫を見なくなる。

季節は巡っている。これを肌で感じると、なぜだかじんわりと幸福感を感じる。ヒトはそういう風にできているような気がする。

3. 人との繋がりができる

人間は3つのコミュニティに所属しているとメンタルが安定するということはフィードフォースの tポンに教えてもらったことだが、農を通して地域のコミュニティと繋がれるいうのも良さだ。

そもそも個人所有権が認められた現在では、畑というのは誰かの持ち物で、畑を始めるには、まずはこれを借りる必要がある。

私の場合は運良く人づてに借りることができた。この過程で仲良くなった方とは、未だに良い関係を続けさせてもらっていて、ちょくちょく食事やお茶に誘われたり、鹿肉をもらったり、私が作った作物をお裾分けする中だ。私は勝手にトカイナカの実家だと思っている。

それから、畑仕事をしていると、近所の人にもよく声をかけられる。近所の人も畑をやっているので、作物や情報を交換をしたり、毎日散歩している人に、よくやっているねえ、まめだねえと褒めてもらって、その土地の歴史を教えてもらえたり。

他にも、飲食店をやっている友人にできた作物を買ってもらったり、先日はマフィン屋さんにお裾分けした里芋がマフィンになったり。

農を通して、都内に住んでいたときにはまったくなかった地域での交流があるのは楽しいし、心強い。

作物が美味い

自然農は農薬・化学肥料を使わないので、種と土と雨や太陽などの自然の力で作物ができる。

初めて食べたときに驚いたのだが、スーパーで売っている野菜とはぜんぜん味が違う。なんというか、滋味深くワイルドな味で美味い。

これは、厳しい環境で作物が強くたくましく育つことで、味に反映されるのではないかと思っている。

あとは、自分で作ったから補正が働くというのもあるかもしれない。自然農を始めると野菜が『「自分で作った野菜」と「それ以外」になる』とは、銀色夏生さんの言葉だ。

食糧自給率に貢献できる

農林水産省によれば令和4年度の食料自給率は38パーセント(カロリーベース)らしい。さらに種や肥料、農薬、燃料などは輸入に頼っている状況だ。スーパーに並んでいる野菜は輸入が止まれば棚からなくなる。(最近こんなニュースもありましたね。政府が食料確保指示の新法提出へ 危機下にサツマイモへ転作要請も | 毎日新聞

自分で自分達の食べるものを作れば、家庭内食糧自給率を向上することができる。すべての家庭が家庭内自給率を向上できれば、結構なインパクトがあるはずだ。

大規模農業は、肥料、農薬、機械が必要だが、小規模の自然農であれば、自分の体と、最低限ノコギリ鎌とスコップがあればできる。

万が一失業しても、家庭内自給率が高ければ安心だ。種と土があれば食い繋いでいけると思える。

ちなみに、固定種の種であれば、自分で種を取って、次の年に蒔けば、また作物はできる。私も一部の作物で種を繋いでいるが見事にできて感動する。例えばトウモロコシは簡単だ。食べずに放っておけばツブが固くなって種になる。自分と種と土があれば、生きることに他には何も要らないのではないかとさえ思える。自然は極めてシンプルで、物事を複雑にしているのは人間なのかもしれない。

私がトウモロコシを食べれば自分の命を繋ぎ、食べられなかったトウモロコシは次の年に私に蒔かれて次の世代に命を繋ぐ。私が死ねば分解されて土となりトウモロコシを育てる土壌となるので、実は私と作物は一体なのではないか。この世のすべては空であるとはそういうことか。

話がそれた。みんなで働きながら作物を育てて食糧自給率を上げよう。

副業にもなる

友人や知人に作物を譲る対価として貨幣を受け取ることはもちろん、最近はメルカリShops を立ち上げた。まだ販売はしていないが、来年はラッカセイを多く作って、ネット販売することを考えている。

貨幣の獲得が目的というよりは、自分で作ったものをインターネットを通して他者に届けてみたいのと、自分でも小さな商売をしてマーチャントとしての経験を積みたい。

メルカリShops を立ち上げるうえでも、店舗の住所を自宅にすることに抵抗があったので、バーチャルオフィスを借りるなど、早速、やらなければ分からないことを、知ることができた。

本業にも活きる

本業では、新規事業や新しい施策など、結果が出るまでに時間がかかることが少なくない。このときに、作物が育つには時間がかかるし、時間がかかるのは当然よねと思えるようになった。

それから、自分の中でなぜ生きるか?についての答えが出たことも大きい。これはなぜ働くかにも通じる。

自分の命をまっとうするために生きるのだ。これは最初に紹介した沖津 一陽氏の「自然農を生きる」の一節にもある。

畑によく生えるアメリカセンダングサというやっかいな草がある。いわゆるひっつき虫で、種子が尖っていて服につくとやっかいだ。肌まで届くとチクチクする。

ある日、アメリカセンダングサが育っていて、やっかいだなあ、いやだなあ、と見ていたら、小さな黄色い花を咲かせていた。その小さな花にアブが飛んできて蜜を吸っていた。その時、頭の中に結構な衝撃が走った。私にとっては「やっかいな草」だが、アブにとっては「大切な栄養源」なのだ。さらに、アブは自分の命を繋ぐために花の蜜を吸っているだけだが、アブの活動は花の受粉を手伝っている。ただ、生きているだけで、本人の気づかないところで他者の役に立っている。これが自然界の理なのだ。

本業でも、他者に貢献するために、自分のできることを精一杯やるということに集中できるようになった。

終わりに

このように良いことずくめなので、一人でも農に触れる人が増えてくれると嬉しい。私の畑で良ければ、見学したり、一緒に作業したりはウェルカムなのでぜひお声がけください。

明日はおやなぎさんの「小さく始めるデザイン原則」です!

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