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12エピローグ(2)

「亜桜ちゃん、ちょっといいかしら」
 廊下で後ろから呼び止められ、水原が片手をあげながら近づいてきた。
「何でしょうか。水原先生」
「ええとね、あの事件の後あまり亜桜ちゃんとお話しできなかったから。ちょっとこっちにいい?」
 水原に連れられて、近くのカンファレンスルームに入るとお互い向かい合って座った。
「金沢さんの件、フォローできなくて本当にごめんねー。元はと言えば、私が亜桜ちゃんに担当医をお願いしちゃったことから始まったんだから」
「いえ、大丈夫です。私も、甘く見ていたところがありました。それに、結果的には朔人との時間をもう一度過ごせたことは、私たちにとっていいことだったと思っています」
「え、と……亜桜ちゃんと金沢さんって、その……」
 水原は少し体をくねらせる。
「?」
「そういう関係だったのかしら?」
「ああ、そうでした。先生には幼馴染、と言っていたんですよね。ウソついてすみません。朔人は中学から高校の頃にお付き合いしていた関係でした」
 水原は目を大きく見開いて、前のめりになった。
「やっぱり。それって最近まで続いていたとか?」
「いえいえ、本当に学生の頃だけの話ですよ。でも、思い出の中の彼っていう感じで……。まだうまく言えないんですけど、少なくとも他の人に比べて特別な感情を持っていたことは確かだったって思います。自分でも気づいていなかったんですけど」
「ああ、そんな関係に運野先生が割り込んだわけか。それは本当に運野先生が悪いことしたわね。ごめんなさいね」
「いや、もう気にしてませんし。それにどうして水原先生が謝るんですか」
 亜桜に指摘されて、水原は一瞬きょとんとした表情になったが、すぐにあははと笑った。
「そ、そうよね。私が謝ることじゃないんだけど。でも、私は運野先生が昔から無茶なことをしてきたのを知っているから」
「そうなんですか」
「うん。前の病院にいられなくなったのもね、今回の事件みたいな法律違反ギリギリの制度下安楽死を施行してきたからなの。警察の目は何とかごまかしていたみたいだけど、スタッフの信頼を失っちゃってね。彼の制度下安楽死を誰も手伝ってくれなくなった。まあ、それも法律違反なんだけどね……。そのことを訴えることもできたけど、彼はそうせずに病院を去った。それで、路頭に迷っていたところを照葉が拾ったのよ」
「そうなんですか。以前から強引だったのですね」
「そうね。でも、誤解しないでほしいの。彼は決して、制度下安楽死を利用した殺人者ではないってことを。彼のお母さんがね、10年くらい前にやっぱりがんで亡くなられているんだけど、制度下安楽死ができたばかりの頃で混乱もあったんでしょう。お母さんは安楽死を求めていたにも関わらず、担当した国家認定緩和医や監査医がOKを出してくれなかったみたいでね。最後の希望を否定されたお母さんは、悲痛の中で亡くなっていったそうよ」
――父が言っていたことと同じだ。
 亜桜は水原の話を聞いていて、父との最後の会話を思い出した。父・健治も「終わりにしたいというのが最後の希望なのに、信頼している先生からはねつけられたらそれこそ死にたくなる」と言っていた。運野も、似たような思いを抱いて死んでいった肉親を持っていた。それなのに、亜桜とは全く異なる考えを持つ医師になった……なぜだろう。考え込む亜桜の横顔に、水原はなおも語りかける。
「それから運野先生は自らも国家認定緩和医の資格をとって、『患者の自由意志』を最大化するために活動してきた……。テレビとかに出ていたのもその一環ね。でも、私の目から見ても確かに行きすぎなことがちょくちょくあったわ。途中から、患者さんを『自分の理想を追求するための道具』みたいに見ているような気がしてさ。だから、ここらで逮捕されたのは彼にとって良かった面もあるのかもしれない。今のところ全然反省していないみたいだけど。報道を見ていると『運野先生は冤罪』とか『運野先生の思想こそが正しい』って言って、彼を応援する人たちも結構多いみたいだしね……」
 水原はそう言うと、寂しそうに笑った。亜桜はその表情をじーっと眺め、
「水原先生、運野先生のこと詳しいですね。どうしてそんなに色々とご存じなんでしょうか」
 と質問を投げた。水原はギクッと肩を震わせ、床に目を落とす。
「運野先生は、大学の先輩で同じ部活だったのよ。だから、その当時から知り合いで……。その頃からの腐れ縁ってやつ」
「わかりました。そういうことにしておきましょう」
――私は朔人とのこと正直に話したのに、ズルいわ。
 亜桜は少しイラッとしたが、運野と水原の関係なんて正直なところさほど興味もなかったので流すことにした。
「でも、私は本当に運野先生のことは気にしていません。あれはあくまでも私の問題なんです。まだ答えは形になっていないけど、ずっと考えていくことと思っています」
「そう言ってくれたら、私も少し気が楽になるわ。うん、忙しいところ呼び止めてごめんね」
 水原はすっと立ち上がると、足早にカンファレンスルームを出ていった。ひとり、だだっ広い部屋に残された亜桜はしばらくぼーっとしていたが、やがてポケットから蛇のキーホルダーを取り出して、目の前でジャラジャラと鳴らした。
 手の平に鍵束を戻したとき、白衣の胸ポケットにあった電話が鳴った。応答すると、病院受付の女性のはきはきとした声が響いた。
「望月先生、いま受付に制度下安楽死を希望されている患者さんが紹介状を持参しているのですが、どうしましょうか」
「OK、じゃあ今から話を聞くよ。外来に通しておいて」
 亜桜は、電話を切ると颯爽と歩き出す。
――制度が変わっても、運野先生や凪さんに何を言われたとしても、私は私のやり方で患者の隣を歩いていきたい。
 手の平に握りしめていた蛇のキーホルダーをポケットに戻し、亜桜は外来のドアを開けた。

 国家認定緩和医・望月亜桜。年明けから制度下安楽死を5件施行。
ネットニュースの片隅に「今月の制度下安楽死7件、最速のペース」というタイトルで、照葉総合病院の紹介と共に、亜桜の名が小さく載っていた。

(了)

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