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11対決、そして4人の思い(5)

「運野先生は、運野先生でしたねえ」
 灰色がかった拘置所を仰ぎ見ながら、赤垣がしみじみと言う。
「そうね。思ったよりも元気そうでよかったわ」
「亜桜先生……、それは本心ですか、皮肉ですか?」
 赤垣が笑いながら言うと、亜桜もつられて笑った。
「本心よ。別にもう、運野先生のこと恨んでるわけじゃないわ」
「そうなんですか。でも、運野先生のおっしゃっていたことに賛成もしていませんよね」
「そうね。やっぱり、運野先生の考えは行き過ぎだと思う。でもね例えて言うなら、きれいな花が咲かない木だからって、すべからく切り倒して桜の台にする? って話よ。その花、その花の良さがあるものじゃない。だから、ああいう人がいるってことにも意味がある……。運野先生みたいな人がいるからこそ、みんなの考えが深まることもあると思うの」
「そういうものですか」
「そういうものよ」
 亜桜がニコニコ笑いながら言うので、赤垣は少し苦しくなって目をそらした。
「ところで、亜桜先生が最後に言っていたことってどういう意味ですか。『朔人もきっと、それを望んでいる』って」
 赤垣が話題を変えると、亜桜の目線が少し遠くへ飛んだ。
「朔人は、ずっと死にたがっていた。ううん……もっと正確に言えば、生きていくだけで限界だった。朔人のお母さんは、元々東京で朔人を育てていたんだけど、川崎の金沢家に後妻として入ったんだって。それまでの慎ましい生活から、いきなり資産家の生活になったってことだけど……。それって朔人には全然関係ないことでしょ。だけど、金沢の家からは大切に育てられたから、恩を返さないと、期待に応えないとっていう気持ちもあって……。それで、『何が自分の生き方』なのか、段々と見えなくなっていったみたいで」
 朔人が入院中、ベッドサイドに訪れる亜桜に語ってくれたことだった。赤垣は無言のまま、亜桜の横顔を見つめる。
「病気になって全てを失って、実家に帰ってきて、照葉に来て。朔人本人は、『これで安楽死をさせてもらえる』って考えて、楽になったって言ってたけど。ある意味、自由になった……って言ってた。ただ、その時に担当が私になって、少し気持ちが変わったのかもしれない。彼はもし私が担当じゃなかったら『死にたくないってこんなに思わなかったかもしれない。でも今、亜桜が隣にいてくれるから、もういつ死んでもいいやとも思えるんだ』って言ってくれたの。初め、何を言っているのかわからなかった。凪さんにはわかる? この言葉の意味」
「はい……。金沢さんがずっと亜桜先生のこと好きだったんだろうなってこと、わかります」
「やっぱり、そう思う」
「そりゃあ、わかります。金沢さんはきっと、亜桜先生に安楽死を施行してほしかったんですよね。もちろん、亜桜先生と過ごせる時間がどんどん減っていくから『死にたくない』。でもいつか、好きだった人の手で最期を看取ってもらうことができるのは安心……。私が金沢さんの立場なら、そう考えるかなと思います」
「まあ……そうね。そう考えるなら、私が朔人と一緒に在り続けたことってやっぱり意味があることだと思うの。裁判所で許可をもらうでもなく、個人の自由を最大化するでもなく、今のままが私はいい。朔人もきっとそう思っているんじゃないかって」
 亜桜がそう言うと、赤垣の表情がさっと固くなる。
「亜桜先生。先生には申し訳ないですが、最後のところだけは賛成しません。私は基本的に、個人の自由は誰からも制限されるものではないと考えています。かといって、運野先生の意見も極端だとは私も思いますが。私は、個人が自らの意志で裁判所に申し出をして、苦痛からの解放を公的に勝ち取っていく自由を掲げた案、すごくいいと思いました。制度下安楽死に医者は関わらない方がいい。今回の件で、本当にそうだなって思いましたよ。亜桜先生の考えは、やっぱりこの前と同じ……家族とか人同士のつながりが個人の意志に干渉しても悪くないって言っているように聞こえます」
 亜桜は、赤垣がまくし立てるのを静かに聞いていたがその表情は崩れなかった。
「そうね。確かに私はそう思っているわ。温泉で話した時は、凪さんの言い分にも納得はしたんだけどね。私は『患者の権利法』の理念を信じている。あの法が正しく使われる前提なら、もう今でも自由って十分すぎるほどあると思うの。これ以上の自由を求めたら、結局のところ患者さん自身が孤立するんじゃないか……って怖さが私にはある。自由とは、力を持つ行為よ。でも行き過ぎた力は排除を同時に産んでしまう。だから私は、患者さんがその自由な意志をより高く飛ばすために、周りに人が集まってそれをみんなで『よいしょ』って押し出すような世界線を求めてる。少しだけ泥にまみれているけど、親しみがある自由が保たれた社会がいい」
「素敵な表現ですね。でも、ここだけは譲れません。『患者の権利法』があっても、他人の感情はコントロールできません。そうすべきでもないですし。他人が自分を尊重してくれることを望むよりも、誰からも絶対に干渉されない純粋な自由を追求したいですし、それがお互いに許しあえる社会であった方がいいです」
「ええ。別に凪さんを論破しようとか、あなたの意見を変えたいって思っているわけじゃないわ。私には私の意見がある。凪さんには凪さんの意見がある。大切なのは、それをいつでも素直に口にできて、お互いに言い合える自由があることだと思うから」
 亜桜が満面の笑みで見つめると、赤垣は少し頬を赤らめて目をそらした。
「なんか、今回は丸め込まれた気がします」
「そうでしょ」
「でも、もう一つわからないことがあるんです。亜桜先生は結局、運野先生から聞きだしたいことは聞けたんでしょうか。『これで、いいんだ』って金沢さんの言葉を聞かされて泣いていましたけど、あれが亜桜先生が聞きたかった言葉だったんですか?」
 亜桜は、少し頬を赤らめて黙った。そのことだけは、赤垣にも言いたくなかった。
「ごめんね。そのことはもう少し考えたいの。今はちょっと言葉にしたくない」

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