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11対決、そして4人の思い(1)

 1か月後、運野は逮捕された。
 最低診療期間をクリアしていない医師が制度下安楽死を施行したこと、また施行時に撮影機材を使用していなかったこと、そのために本人が本当に同意のうえのことだったのかの証拠がないこと、が逮捕の理由となった。あの夜、「到着を待ってられない」という運野の判断で、安楽死施行の瞬間に立ち会えなかった朔人の母の怒りもすさまじく、それも逮捕に影響したのかもしれない。
 運野は「起訴されることはない」と高をくくっていたようだったが、逮捕翌日にはあっさりと起訴された。
「制度下安楽死で初の逮捕者」「安楽死トップ医師、勇み足」などのタイトルが、全国ニュースに踊った。照葉総合病院の周囲には記者たちが詰めかけ、院長や岩田部長などは対応に追われたらしい。

「らしい」というのは、亜桜がその現場を見ていないからだ。
 朔人の死以降、亜桜は病院から「自宅待機」を命じられ、実家に戻っていた。逮捕翌日に開かれた院長や岩田の記者会見を、ネット・テレビの映像ごしに見ながら、亜桜は1か月前の岩田の言葉を思い出していた。
「知り合いが、同僚に安楽死させられて精神的に壊れかけている望月先生を、病棟に置いておくわけにいかない。それに、警察の郡司さんから連絡あったけど、当院にも捜査が入るらしい。先生にも警察から呼び出しが来るだろう。報道機関も嗅ぎつけてくるだろうしな……。慌ただしくなると思うから、自宅でしばらく休んでいろ」
 今思うと、岩田たちの配慮はありがたかった。心配されていた通り、亜桜は連日のように警察署に呼び出されたり、ネットでの遠隔取り調べなどを組んだりに追われ、業務どころではなかったからだ。
郡司は、「ようやくあなたたちを裁判にかけてやることができますね」と息巻いていた。しかし、朔人との関りについて亜桜が洗いざらい話すと、彼はいくぶん同情的になり「あなたもお辛いところだったんですね」と声をかけてくれた。なんだ、けっこういい人なんじゃん。
 実家に戻してくれた母にも感謝だった。自宅待機命令によって、昼過ぎに放心状態で帰ってきた亜桜は、貴子が出迎えてくれた玄関先で堰を切ったように泣き出した。いつものようにオロオロと戸惑っていた貴子だったが、亜桜がぽつりぽつりと事情を話し始めると次第に表情が引き締まっていった。
「亜桜、一度家に帰りましょ」
 貴子が言うと、亜桜は顔を上げて「家はここでしょ」と惚けた声で呟いた。
「違うの。私たちの家に。ここにもきっとそのうち記者さんたちが押し寄せてくるんじゃないの? 晨が好奇の目に晒されるのも避けたいわ。蓮さんには私から連絡しておくから」
貴子はそう言うと、さっさと身の回りの準備を始めて亜桜を立たせた。
「亜桜、しっかりして。晨をお迎えにいくわよ」

 結果として、亜桜はほとんど記者の取材を受けずに済んだ。それは岩田たちが亜桜の情報を一切話さないでいてくれたことが大きかった。それでも、マンション周囲に張り込む記者が何人かいたようだが、その時には亜桜はもう実家にいたため、記者たちに見つかることはなかった。

「あなた、これからどうするの?」
 事件の報道を一緒に見ていた貴子が、お茶を注ぎながら尋ねた。
「そうだね……。今は病院の方もバタバタしてるだろうけど、報道が落ち着いてきたら自宅待機命令も解かれるんじゃないかなって思ってる。そしたらまた仕事に戻るよ」
「もう、こっちのほうは大丈夫なの?」
 貴子が胸に手を当てながら、亜桜の顔を覗き込む。
「うん……。もう、大丈夫。大丈夫だよ」
 確かに、朔人の死から数日間は食欲もなく、取り調べの時間以外は部屋で寝ている日が多かった。思考がずっと頭の中をぐるぐる回っていて、気持ちが悪かった。赤垣からAIウォッチに「大丈夫ですか。心配しています」とメッセージが入っていたけれども、それに返事すらできないでいたのだ。しかし、人間の心というのは不思議なもので、1週間くらいしたころから少しずつ活動ができるようにはなっていた。
 ただひとつだけ、心に引っかかっていることがあった。
「お母さん。私ね、運野先生のところに面会に行ってみようと思ってるの」
「えっ。この男に」
 貴子がネット・テレビの画面に映った運野の顔を指す。
「うん。あの日はね、私も冷静じゃなかったから。もっと聞きたいことがあったけど、途中で聞けなくなっちゃったの。だから、仕事に復帰する前にもう一度あの夜のことを聞いておきたいの」
 貴子は黙って亜桜の顔を見ていたが、やがてうんうんと頷く。
「そうかそうか、そうだよね。亜桜なら、ガツンと言いたいこともあるんでしょう。朔人君の弔いになるようにはっきりと言ってやらないとね」
「いや、そういうのじゃないし。でも、私がきちんとそこを聞かないと、私にとって良くない気がするの」
 亜桜はテーブルの上に置いてあったAIウォッチを手に取ると、メッセージを入力し始めた。

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