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尾道のホテルでNHKと人生会議

 尾道は2回目、いや3回目かもしれない。
 少なくとも、記憶にあるのは20代のころ。西日本一周をしていた途中で訪れた。それからもう20年である。

 20年前は、特に下調べもせずに尾道駅の近くでラーメンを食べた記憶がある。尾道ラーメンって名物だったはずだ。
 だから今回も特に何も考えず、「新」尾道駅に降り立ったのが18時少し前。

 しかし、何もないのだ。
 新尾道駅前に、食べるところなんて何も無い。何ならコンビニすらない。ひたすらに住宅街が続くど真ん中に、新幹線の駅があるのだ。
 そして、今日泊まるホテルは、尾道駅のある海側ではなく山側。18時台にはチェックインしますと伝えている手前、ここから海側に歩いて行って店を探して・・・ってするのは少しはばかられる。かといってタクシーで晩御飯を食べに行くほどお金に余裕があるわけでも無い。

「まあ、歩いていれば食べもの屋さんの一軒くらいあるだろ。国道だし」
 と考えたのが甘かった。
 ホテルまで約4㎞の道、ずっと歩いて食べもの屋もあるにはあったがその全てが定休日か営業時間外。

 ホテルに着いた時はもう夜7時前。今から改めて食べ物屋さんを探すのもきつい。とりあえず来る途中で見つけた温泉まで戻って、汗を流そう。
 ホテルから徒歩5分くらいのところにあった「養老温泉」へ。こちらはいわゆるラドン温泉(単純弱放射能冷鉱泉)なのだが、Twitter(X)で識者からご指摘いただいた情報によると、浴槽にはほとんどラドンは含まれていないらしい。
 それでも550円という銭湯並みのお値段で入れるのは嬉しいし、泉質も固めの印象で、体に気合を入れるにはちょうど良い感じだった。

 あと、この養老温泉で興味深かったのは、
「ロッカーの100円のお忘れが相当の金額になりましたので近くの児童養護施設にマスク1500枚を寄付いたしました」
 という貼り紙があったことだ。
 ロッカーの100円とは、脱衣所でカギをかけるときに100円を入れてキーを回すとロックされるタイプのアレだ。そのまま100円が回収されてしまうタイプもあるが、ここは100円が戻ってくるタイプ。それを取り忘れてしまう客が相当数いるってことなんだろう。
 でも、その忘れた100円を店の利益にするのではなく、貯めておいて寄付に使う、って発想も素敵だなと思ったし、さらに僕は「何ならあえて100円をわざと忘れていって寄付に回してもらっているのでは?」なんて妄想もした。だって、そんなにあの100円って忘れなくないか?だったら、「せめてものお礼だぜ、フッ」ってこの地域に住む方々が、新しい寄付の形を生み出しているんじゃないかって思っちゃう。

 そして温泉の帰りに立ち寄ったスーパーで「広島風お好み焼き(そば・イカ天入り)」と「広島のおいしい牛乳」を購入。
「観光地に行ってるのにスーパーの惣菜で夕食って、プププ」
って笑うなよ。これにさらにビールとデザート(兼朝食)を購入して1000円切ってるんだから、これはもう勝ちでしょ。

 それに、これって結構面白い過ごし方だと僕は思う。観光客向けのコンテンツを楽しむのも旅の一興だけど、「その土地に住んでいるかのように」旅をするっていうのもまた一興。海の近くに旅するときは、できるだけ市場に行くようにしているしね。
 行ってみたらイレギュラーなことあっても、それも含めて楽しめるのが旅でしょ、って思う。

 今回、尾道に旅したのは「尾道のおばあちゃんとわたくしホテル」にて、NHKが人生会議についての番組を収録したい、ついては僕にゲストコメンテーターをお願いしたい、というのが理由だった。

(↑この本を読んでくれてのオファー)

 ホテルの一棟を借り切っての収録。
 いつもの渋谷スタジオでの収録と違って、終始和やかな雰囲気で進んだ。

 僕がいつも人生会議がテーマになったときに伝えているのは、
「日常生活の中で交わされる言葉こそ、大切にしてほしい」
「まず、目の前にいる、あなたの大切なその人とその未来を見てほしい」

 という2点だけ。それ以外の言葉は、この2つについてダラダラ解説しているだけに過ぎない。
 自分の大切な人が、大きな病気になって、もしくは高齢になって「万が一」ということも考える必要が出てきて、というとき。その人と自分がどんな未来を過ごすことになるのか、って心配になってほしい。というか、その気持ちにまずはならないのであれば、人生会議は始められない。
「胃瘻作るか作らないか、どうしますか」
「人工呼吸器つけますか、つけませんか」
「死ぬときは家ですか、それとも病院ですか」
って尋ねていくことが人生会議じゃない。

「ああ、この人とはこれまで一緒にこんな人生を歩んできたなあ。でも、まだまだ知らないこともあるなあ。そういえば、もし大きな病気になったときってどうして欲しいとかあるんだろうか」
 って、その人と歩む自分の未来を見据えたとき、「心配」の感情って自然とわいてくるだろうし、そうであってほしいということ。そしてそれは医療者にも言えること。医療の現場で人生会議やるとしても、それは主治医が目の前の患者のことを「本当に心配」しているから始められる。未来を一緒に歩んでいこう、って思いが無いならそもそも人生会議なんて害の方が大きいのだ。

 だから、人生会議は日常の会話の中にこそ、その本質がある。
 何か一緒にテレビ番組を見ていてのちょっとした発言だったり、旅先での気軽な会話の中からも、その人の価値観はにじみ出てくる。それらの言葉をきちんと記憶しておいて、いざというときに「あの人はこんな場面だったら、きっとこんな風に言うと思う。だって前にこんなことを言っていたもの」と考えられるようになるのだ。
 別に「死」を意識した話をわざわざする必要もない。人生を振り返り、その人の価値観を確認していくことが人生会議の本質なのだから、「何を大切に考えて生きてきて、これからどう生きていきたいのか」さえ分かれば良いのである。
 あくまでも、生の延長線上に死がある。それを忘れてしまうと、コミュニケーションは一気に難しくなる。明日からでも、大切な人と、たくさんの言葉を集め合うことを始めてほしい。

※ちなみに2023/10/20にNHKで放送のようですが、中国地方でしか放送されていない「コネクト」という番組だそうです。ディレクターさんから「この機会に、全国の放送が自宅でいつでも楽しめるNHKプラスにご登録ください」とのことでした。
※もう少しだけ尾道で撮影したお写真をお楽しみください。マガジン購読者向けに、最後もう少しだけ文章が続きます。

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