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(ぜひ前編からご覧ください)

トーマス教会、バッハ博物館

 さて、ライプツィヒ音楽散歩の続き。勿論バッハがカントール(合唱指導者)を後半生27年間に亘って続けたトーマス教会にも行きましたよ。こここそがバッハに最も所縁のある教会!ここでオルガンを聴ける悦びよ…。

 教会のステンドグラスにはバッハとメンデルスゾーンの姿があり、二人が如何に大事にされているかがよく判る。二人ともここの生まれでは無いけれど、この街の音楽を豊かにしてくれた、そう感謝しているのだな。そして教会内祭壇の手前にはバッハの墓まである。右奥にはちょっとした資料室も。

 裏手に廻るとバッハの最も古い顕彰像がある。非常に素朴なもので味わい深い(上部の写真)。これはメンデルスゾーンの発案で建てられたとのことで、バッハの孫が除幕式に参加したとの事だ。その向かいにはメンデルスゾーンの真新しい像が建つ。こちらはメンデルスゾーン没後にヴァーグナーが「音楽におけるユダヤ人」などという論文を書いて排斥したりした結果そもそもの建立も死後相当の年数を経過してからとなり、またナチスによるユダヤ人排斥の結果、市長不在時に像が打ち壊されるという事件が起きたり(責任を取って市長は辞職)、と数奇な運命を辿ったものだ。最近の没後100年時に募金を募って漸く復旧させたものという。

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 そしてトーマス教会の隣にはトーマス学校が建つ(写真左が教会、右が学校)。バッハが教えた聖歌隊の少年たちが学び、寄宿した大きな建物で、その教師であったバッハ一家も暮らしたという。広い建物内には作曲部屋もあったというし、カンタータを毎週創っていた就任初期は聖歌隊の少年たち・バッハ一家総出でパート譜を作ったりしていたという。そのトーマス学校を廻り込んで別の側の裏手に行くと更に有名なバッハの像!左ポケットは中身を外側に出して空っぽだよを意味し、胸のボタンを一つ開けているのは指揮棒を取り出すためとか。立派な像なのになかなかチャーミングな逸話が残る。

 その像やトーマス学校の向かいにあたる商家ボーデ家だったところがバッハ博物館。勿論行きました。ボーデ家はとても仲の良いお隣さんだったそうで、バッハ家とも行ったり来たりのの関係だったそうな。こちらには1748年に描かれたバッハの肖像画が。前編で記した、組合に出した1746年のものと同じものを同じ画家に頼んで自宅用に描いてもらったものだとか。こちらは貴重品室に在って撮影不可だったが、同じ部屋にはカンタータの自筆送付や皆で書き写したパート譜も展示。カンタータ好きにはたまらん部屋だ…。

 博物館2階の展示も素晴らしかった。階段を上ったところのバッハ家ツリーが圧巻。音楽一家バッハ一族の樹形図が壁面にあり、ヨハン・ゼバスチャン以外の手になる貴重な楽曲が順次流されている。バッハの息子たちの曲はカール=フィリップ・エマヌエルを大好きで良く聴くしヴィルヘルム・フリーデマンあたりも聴くけど、ヨハン・ゼバスチャンより上の世代を聴けて楽しかった。良い曲ばかりだ…。これらの曲はヨハン・ゼバスチャンが蒐集し、場合によっては一部補うなどしてまとまった形にしておいたからこそ遺っているそうで、しかも長らく行方不明になっていたものが近年1998年だったかにロシアで見つかり、2000年にベルリンに移され、諸家の研究に供されるようになったとのこと。ありがたや…。その曲集、CDになってないのかな…聴いてみたいな。バッハが確実に演奏した事が判っているというオルガンの演奏台も飾られていて、バッハもそんなに遠い遠い昔じゃないんだな、と身近にも思えました。

 そして「Clara 19」には市内各博物館も特別展示で参加しているが、バッハ博物館では特別展示室に「クララ、ファニー、アンナ=マグダレーナ」という企画展が。女性ピアニスト・女性作曲家の道を切り開いたクララ・ヴィーク(シューマン)、ほぼ時を同じくして女性作曲家の道を切り開いたファニー・メンデルスゾーン(ヘンゼル)、ソプラノ歌手から大バッハの後妻となり夫を支え子供たちを育てたアンナ=マグダレーナ、3人の女性を取り上げた好企画だった。数年前にハンブルクの博物館でファニー・メンデルスゾーン(ヘンゼル)に出逢ってからずっと気にしていた彼女にも再会出来て嬉しかった。

 併設ショップでもバッハチョコレート、ファニー・ヘンゼルのCDなどを購入。バッハ一族のCDがあるかは確認しないでしまったな…。2時間以上をバッハ博物館で過ごしてしまったが時を忘れた…。

メンデルスゾーンハウス、トーマス教会での晩祷

 メンデルスゾーンハウスにも行きました。フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディがライプツィヒに着任し妻子と暮らした家。市内リングよりは外にあるため、閑静な住宅地という感じの場所で、広く使っていた様子。そもそもメンデルスゾーンはゲーテがモーツァルトと比肩するとの評価をしたぐらいの人で(ゲーテは両方が子供の頃から会っている)、一世を風靡した人の訳だが、没後評価が落ちてしまう。それは「裕福な家に生まれて苦労知らずが作った音楽にいいものがあるわけがない」という何だか精神主義的な考え方と、ヴァーグナー、ナチスらによるユダヤ人排斥の流れと、主に二つの要因だった、と展示が教えてくれた。

 またフェリックスがクララ・ヴィークのピアノを大変高く評価していて、ライプツィヒ着任後2~3カ月後の演奏会では「3台のクラヴィーア」をフィーチャーした曲を書いて1stにクララ・ヴィーク、自らは3rdを弾いたとのこと。

 フェリックスの姉であるファニー・ヘンゼルの展示も充実していた。私も大好きなピアノ独奏曲「一年」の12枚の楽譜が展示されていたのも嬉しかった。12カ月それぞれの月をイメージしてファニーが曲を書いたもので夫ヘンゼル氏に献呈しているが、12枚それぞれに夫ヘンゼル氏が素敵な絵をあしらっている楽譜。当該月の季節感を思わせるものもあれば、家族一緒に旅行した思い出を描いているものもあるらしい。クララもそうだが、ファニーも女性が作曲をすることに関する社会の無理解に苦しんだと聞いていたが、夫ヘンゼル氏の理解には恵まれ幸せだったんだな、と嬉しくなった。彼女ら二人が道を切り開き、そしてここ数年急に女性指揮者の活躍がようやく世界中で目立つようになってきた。素晴らしいことだ。

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 なおメンデルスゾーンハウスを整備したメンデルスゾーン基金は指揮者の故クルト・マズアの尽力が大きかったらしくクルト・マズアのコーナーも。奥様は日本人らしいですね。博物館併催のショップにも日本語によるメンデルスゾーン解説本なども数種類あり。ファニー・メンデルスゾーンのCDも見かけたときには買うようにしているのでこれも…と、嬉しい悲鳴。

 さて18時からはトーマス教会での晩祷に参加。少年聖歌隊が歌うと聞いてきたのだが今日は不在でオルガンだけなんですと入口の方。それは残念だがオルガンも好きなので聴かせて頂きますよ、と2ユーロ払って入場。しかしオルガンの演奏会と思って気軽に参加してしまったのだが、始まってみたらこれが本格的なお祈りでびっくり。晩祷だったんだ…。オルガン演奏と牧師さん(司祭?ルター派は何て呼ぶのかな?)の説教とが交互に行われる感じ。貴重な体験をさせて頂きました。途中賛美歌を全員で歌う機会があり、紙に記された歌詞と音符を見ながら一緒に歌わせて頂いたり。

オペラハウスでドヴォルジャークの歌劇「ルサルカ」を鑑賞~ライプツィヒありがとう!

 約一時間で晩祷が終わり、急いでオペラハウスに向かう。ゲヴァントハウス(織物小屋の意だとか)と、オペラハウスが向かい合って建っている。今回は19時半からオペラハウスでドヴォルジャークの歌劇「ルサルカ」を聴いた。ドヴォルジャークらしい旋律美のアリアを堪能。しかし大傑作とまではいかないかな…。ドヴォルジャーク自身はオペラでの成功に執心し続けたようだが、やはり交響曲や器楽曲の良さをとらざるをえないなというのが正直な感想。しかしもちろん聴いてよかった!そして音楽の街ライプツィヒでのオペラ鑑賞という体験もすばらしかった!

 駆け抜けたライプツィヒともお別れの時。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を聴けなかったのは残念…。あと心残りはグリーグ記念館とコーヒーの木に行けなかったことかな。グリーグもライプツィヒに学んだということでの記念館は、メンデルスゾーンハウスのすぐ近くなのだが時間切れ。コーヒーの方はバッハもコーヒーカンタータを書いているように、コーヒーは当時ヨーロッパで大流行で、ロベルト・シューマンがダヴィッド同盟や『新評論』の会合をコーヒーの木の木陰で開いていたのだという事で行きたかったのだが。でもこのくらいやり残したことがあった方がよさそうだよな。アウアーバッハス・ケラーでも飲まなきゃいけないしな。
 ライプツィヒ、良い街でした!ありがとう!

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