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「変容と癒し」2021年5月3日 シスタールンニェムの法話

2021年5月3日にオンラインリトリート「自分を癒し、世界を癒す」の中で行われたシスタールンニェムの法話です。

この法話の最初を慈悲の瞑想から始めたいと思います。それは愛の実践です。

インドのデリーの病院の前に立っている若い男性の写真がありました。彼のジェスチャーはお医者さんに向かって「ドクター、どうかお母さんを助けて下さい」と言っていることを伝えていました。彼は希望を失いかけていました。そして少女がお父さんの遺体がビニール袋に包まれた横に座っている写真も見ました。遺体を火葬場に運んでくれる人が来るまで何時間も座っているようでした。それらの写真が私の心に触れて長い間心に残りました。

昨年アメリカではコロナウィルスの感染拡大のため死者数がこれまでで最大になりました。でも、アメリカではこのようなことはありませんでした。なぜなら人々は酸素を求めることができたからです。アメリカでは若者が感染しても十分な酸素があれば、生き残ることができました。でも、インドでは十分な酸素がなくて亡くなってしまっている人が多くいます。

みなさんをお招きしたいと思います。背筋をまっすぐにして、深呼吸をして、痛みと嘆きを感じて下さい。多くの人が苦しんでいます。愛と慈悲で祈りを届けて下さい。彼らのことを思い、愛を心から送ってください。穏やかさと平和が心の内にあり、現実を直面できるように祈りを届けて下さい。静かに座って、目を閉じて、深い呼吸をして、今苦しんでいる人を思い浮かべてあなたの愛を彼らに送ってください。(鐘の音)

息を吸って あなたが苦しんでいることを知っている

息を吐いて あなたに平和のエネルギーを送る

息を吸って この現実を拒否することはできない

息を吐いて 自分を静める

あなたが苦しみから自由であるように あなたは一人ではない 

私達はみんなここにいて あなたと共に呼吸をして 痛みを感じている

あなたの痛みを抱きしめるために

深く息を吸って、愛を自分のためそして他の人々のために招いてください。目を開いて、青い空がそこにあって、鳥が鳴いていて、人々が微笑んでいることを見て下さい。そして、目に見えるすべてのものが無常であることも見えます。

本物の苦しみがあります。痛みがあります。でも、ブッダは言いました「痛みを避けることはできないが、苦しむかどうかは選ぶことができる(Pain is inevitable, but suffering is optional.)」と言いました。

昨日はブラザーファップニェムからマインドフルネスのプラクティスについての話を聞きました。そしてどうやって私達自身の喜びと幸せを育んでいったらいいのかについてお話がありました。手放すプラクティスや、マインドフルネス、集中のプラクティスによってです。そしてブラザーは「正見」の大切さについての話をされていました。そして幸せは深い理解から生まれるということを。

物事にはいつも2つの側面があって、幸せがあれば苦しみもあります。苦しみがなければ、どうやったら幸せになれるのか知ることもありません。今日はどうやったら苦しみが減るかというお話をしたいと思います。それはつまり「どうやって苦しむか」学ぶということです。

「どうやって苦しむかを学ぶ?何を言っているんだろう?」と思うかもしれません。誰もが苦しみを避けたいと思っているからです。「どうやって苦しむかを学ぶ」ということには勇気がいります。

みんなが幸せになりたい、心地よくなりたいと思っています。不快な感じや痛みや苦しみを避けたいと考えます。でも、残念ながら、「苦しみがある」というのはブッダが教えた四聖諦のうちの最初の一つです。(注:ブッダが教えた4つの真実「苦しみがある」「苦しみには原因がある」「苦しみをなくしていく道がある」「その道とは八正道である」)

でも、苦しむかどうかは選ぶことができるんです。転んで足の骨を折ったら痛いですよね。でも、文句を言い続けて「なんで私の人生はいつもこんなに悲惨なんだ?なんで私はこんな風なんだ?」と言っていたら苦しみから逃れることはできません。

私は僧侶ですが、僧侶たちもまた苦しんでいます。僧侶もまた人間で、困難に直面します。痛みや問題に向き合わなければなりません。欲望も怒りもあります。でも、マインドフルネスのプラクティスがありますから、どうやって苦しんだらいいかを知っているんです。

ブッダは「苦しみはそこにあるということをまず知らなくてはいけない。そこから逃げてはいけない。」と言いました。でも、苦しみは死のイメージとつながっています。絶望や苦悶と。「苦しみ」という言葉が私たちに思い起こさせるのは人生で最悪の経験です。乗り越えなくてはならなかったこと、あるいは今も経験していることです。

どのようにしてプラクティスが変容をもたらしてくれるのでしょうか?そして私たちを癒してくれるのでしょうか?自分自身に尋ねてみて下さい。「人生で最悪の時はいつだったろうか?」これまで経験してきたことかもしれませんし、今まさに経験していることかもしれません。時として、自分が苦しんでいるといことに気がつかないということもあります。いつが最悪の時なのかを認識してください。

心理的・直感的な苦しみへの反応というのは、そこから逃げることです。あるいはどこかに追いやってしまう。もしくは消費によって誤魔化そうとします。または自分の苦しみを無視したり、拒否したりします。時間がある時には座って自分の苦しみを感じて下さい。誰かが「元気?」と聞いた時には「元気だよ」と自動的に答えてしまいます。「何も問題ないよ」と。

でも、自分のための時間が十分にあったら静かに座って自分の身体を感じてみて下さい。何か痛みがあるのか?何か身体に緊張があるのか?身体があなたにまだ乗り越えていない何かがあるかどうかを教えてくれます。

もし大きなストレスがあったら肩が凝って、一日の終わりには疲れて肩に痛みを感じます。もし怖れがあると、身体が閉じて背中を丸めます。そして他の人を見ることができなくなります。それは身体からのサインなんです。でも、私たちはただこれまでの生き方を続けていしまいます。それを感じるための時間を取ることができません。

今日はチャレンジに焦点を当ててお話したいと思います。そして死から生まれていく生について。私がどのように困難を見て感じるかについて私自身の経験から皆さんにお話できることを嬉しく思っています。

今日のテーマは「変容と癒し」です。それはどうしたら可能なのでしょうか?

水の入ったコップがあるとします。この水が命/人生だとします。ここに、心理的なストレス、内なる調和の喪失、人生の意味の喪失、鬱が注がれます。時に憂鬱になって、不安や心配な気持ちになりますね。特に愛する人を失った時は深い悲しみを感じます。人生にはそういったものが注がれます。

あなたがもしマインドフルネスのプラクティスを知らなければ、この水はさらに濁っていきます。もし私たちがマインドフルネスのプラクティスを知らないと、私達の痛みや苦しみはこのように増していきます。どんどん澱んできます。それは水のようなエネルギーだけではないのです。怒っている時に熱いと感じますね?怒っている時には身体が熱くなって、顔や目が火のようになります。そのようなエネルギーをこの水に注いでいると、液体だった水がだんだんと年を重ねるごとに固くなっていってしまいます。そしてそれを柔らかくするのが非常に難しくなってしまうのです。

誰かを憎んでいる時には、その人の心の濁りはこのように濃くなっていきます。そして憎しみの感情が、その憎しみをまた固めていってしまいます。そしてこの命の水は石のように固くなってしまいます。色は濃くなって、ある日真っ黒になります。それが真っ黒になってしまえば、そこにどんな色を加えたとしても黒くなってしまいますよね?マインドフルネスがなければそのようなことが起こってしまいます。このように色が濃くなって、強くなり、固まっていきます。これが起こっている時、心が壊れて、涙が出てきます。心に希望を持つことがもはやできません。

マインドフルネスのプラクティスがあれば、元々の苦しみに対して、単に気がつくことができます。単に気がつくということで、そこに水を加えることができます。色は前より明るくなります。そして透き通ってきます。

なぜこういうことが起こるのでしょうか?マインドフルネスがあればこのようになるのでしょうか?

なぜかというと、マインドフルでない時、自分の中の苦しみをもっと強く強固なものにしていくことを自分の中で繰り返して、自分の心が壊れるまで続けてしまいます。マインドフルである時には、毎朝起きて自分が息を吸えることに気がついて、微笑む。ボディスキャンをすることもできる。すると自分の肩が痛いことに気がつく。首が痛いことに気がつく。それは痛みです。でもそれで苦しむでしょうか?苦しむかどうかは選択できることです。

自分がマインドフルでない時には私たちは操り人形のように操られてしまいます。プラクティスがないて、自分の心と身体に気がつかなければ操り人形のような人生を送ることになります。昨日操り人形を作りました。(人形を見せる)

これが私の操り人形です。それが意味しているのは、コントロールされているということです。紐を引っ張るとこのように踊ります「はーい、こんにちは!」このように操り人形は自分の行動が紐によって操られています。あの紐が意味していることはなんでしょうか?それは「誤った認識」「誤った見方」です。そして「学んでいないマインドセット」です。これらにコントロールされています。操り人形はそれらに操られています。

それが意味していることは、自分自身をコントロールできる力がないということです。怒りや憎しみなどの感情がある時、自分をコントロールする力を失っています。私は怒りやすくて、私の紐は怒りです。誰かに何かを言われると顔が熱くなって、手が出そうになります。他の人を殴らなくても、枕を叩きます。誰かに怒っていたら、相手を殴ったら牢屋に入れられてしまうから、枕を叩きなさいと母に教わりました。

もしマインドフルネスのプラクティスをしていたら、今ここにいることができます。意識的に自分の内側と外側に起こっていることに気がつきます。命に応答するために。

マインドフルネスはどのように私たちを助けてくれるんでしょうか?私達の日々の中でマインドフルネスをもつためにはどうしたらいいのでしょうか?

そのためには努力と決意、信念、感謝が大切です。そして賢いマインドセット(心持ち)が大切です。これは仏教では「理解」と呼ばれます。もしくは「智慧」です。科学的に「賢いマインドセット」の大切さが証明されていますのでこのような形でお話したいと思います。

あなたは操り人形としての人生を生きたいですか?操り人形は習慣のエネルギー(習気)によって動かされています。そして自分自身であることができません。

これが自分の道だと決めて、自分のコップの水を明るくしたいと思ったら、努力によって透き通った水をあなたのコップに加えることができます。これが私の人生だから自分自身を訓練する必要があると心に決めるんです。

天才は天才として生まれるわけではありません。彼らは何度も何度も練習と実践を繰り返してきたのです。プラクティスをすることを決めるたびにあなたは澄んだ水を自分のカップに注いでいます。

これが「苦しむための方法」です。このように私たちは苦しみを減らしていく方法を学ぶのです。マインドフルネスのプラクティスでは「川のように流れていくのが良い」と言われます。命の川に沿って流れていく。命というのはここではコロナウィルスですし、不確かさや、不快感、死、絶望、です。世界にはコロナウィルスのの感染者が報告されていない国もあります。でも、それらの国も経済危機を経験しています。それらの国は普段は観光客によって生活を成り立たせていましたが、今では通りには誰もいません。多くのホテルが閉鎖せざるをえませんでした。

コロナウィルスがないからといって幸せにはれないのです。彼らのところに観光客が来ませんから、彼らもまた苦しんでいます。誰もが何らかの形で苦しんでいます。問題があります。どちらにせよ問題があるのですから、それに直面したらどうでしょう?その川の流れに沿って。

でも、マインドフルネスのプラクティスでは、五蘊の流れに逆らう形で歩んでいく必要があります。身体が放っておいたら流れていく方向のその流れに逆流する必要があります。それには強さがなくてはいけません。ポジティブである必要があります。そのようにして流れに逆らっていきます。

嫌な気持ちがある時には、マインドフルネスは微笑み呼吸をすることを教えてくれます。誰かを殴ったり、憎んだりしません。それが流れの逆に進んでいくということです。それには多くの努力が必要です。

私達は誤った認識を持っていますが、誰かに「あなたは誤った認識をしている」と言われた時にそれを信じますか?それとも自分が正しいと思っていることを持ち続けますか?「自分が正しい」という思いを手放して誤った認識であるということ受け入れること。それが流れに逆らうということです。

マインドフルネスは私たちがただそこにいるということを可能にしてくれます。何もしません。それはすごく難しいのです。非常に難しいことです。誰かに対してとても怒っている時に相手にすぐに言い返したいという気持ちになります。言い訳をして、自分を防衛したいと思います。そこにいて、何もしないということができません。なぜならこのマインドフルではないエネルギーがあるからです。それがあなたを押し流そうとします。言い返さなければならないとあなたを突き動かす。

五蘊があって、種が私達の蔵識の中にあります。種は今この人生だけから与えられたものではありません。あらゆる種が私達の蔵識の中にあります。タイが私達の心についてお話されたところを見たことがあるからならご存知かもしれませんが、上に意識があって、下に蔵識があります。その中にあらゆる種があります。種がそこにあるということは、前世から与えられているものもありますし、お母さんのお腹の中で与えられたものもありますし、子ども時代や、学校、育ってきた環境、社会、祖先から与えられてきたものもあります。

これらの種があなたの中に全て貯蔵されています。ですから、自分自身の背景を本当に深く見つめる必要があります。どんな環境で生まれ、どんな両親がいて、どんな祖先がいて、どんな学校に行っていたのか。どんな社会で育ってきたのか。それがあなたがどんな人間かということを作ってきました。

私達の先生が教えてくれたことは、誤った認識があるから苦しむということです。心を壊して、泣いて「これが私の人生だ」と思うかもしれません。でも、一つ意識的な呼吸をプラクティスすることができたら、立ち止まって自分を静めることができたら、あなたはその流れに逆らっていくことができるんです。新しいことを経験するためには、学んで自分の基盤を新しくする必要があります。

もしあなたが怒っているとしたら、座ってマインドフルな呼吸をします。そして歩く瞑想をしたら怒りは落ち着きます。でも、それは表面的なことです。自分自身を新しくしていることにはなりません。私はそのような経験をこれまでたくさんしてきましたし、今も取り組んでいるところです。

座る瞑想をしながら心の中でたくさんの愛をその人に送ります。「あの人がそのような話し方をしたのは、機嫌が悪くて、マインドフルじゃなかったからだ。だからそのように振る舞ったのだ。」と考え、涙を流して心が軽くなります。歩く瞑想をしても同じように感じるんです。

でも、驚くことに実際の彼女に直面すると頭がカッとなるんです。そして私の頭の中では思考が止まらなくなって話し続けます。話し続けて頭の中で説明をし続けています。そして相手から目を逸らします。それが自動的な反応です。私の話を信じなくても良いですよ。自分自身で感じてみてください。

ですからまずは自分自身に思い出させる必要があります。これは無常だということ。優しさと慈悲と許しのプラクティスをしているのは、単に意識のレベルなんです。でも、本当にその感情に触れようと思ったら、相手に会いに行ってください。何も言う必要はありません、ただそこにいてその人の目を見つめて下さい。相手を本当に許しているのかどうか、自分自身を試してみてください。相手を本当に許しているのか、いないのか分かります。なぜかというと私達の心が私達の内側の化学反応を作り出していますから。

そのプラクティスを続けていって、自分自身を慰めてください。そのエネルギーが自分と一緒にいることを許してください。だんだんとその相手と一緒にいることができるようになります。自分が望むだけの時間。

そして、次のステップは、相手の手を握ることです。そして相手を見つめて「こんにちは」と言うんです。そうしたらその瞬間に変容が起こります。あなたの意志と正直さによって。

偽りのビギニングアニューではそれは起こりません。誰かと本当に関係をやり直したいと思ったら、まずは自分の心と向き合う必要があります。自分の痛みや苦しみがそこにあることをまず自分に許す必要があります。どこかに追いやらないでください。

そして愛と思いやりと許しを自分の心に送るプラクティスをします。最初意識の上だけかもしれませんが、それでも効果があります。プラクティスを重ねて苦しみを受け入れて、自分が心から許せると思った時に、相手に会いに行ってください。すぐに何かを言う必要はありません、相手の隣に座って相手の瞳を見つめた時に、自分の身体がどのように反応するのか分かります。そして自分が本当に相手を許す準備ができているのかいないのか分かります。でも、あなたはそれをやろうと試みるたびに、澄んだ水をあなたのコップに注ぎ込んでいるんです。失うものはありません。自分が決意したことがなんであれ、それはやる価値のあることです。

私達はどうやってマインドフルに生きたら良いかということを学んできました。どのように息に気がついたら良いかを学び、マインドフルに歩く方法を学んできました。どうして、そのように自分を変えることができないことがあるでしょうか。それは聞くまでもない質問です。小さな一歩一歩を歩いていく必要があります。

マインドフルネスのプラクティスが教えてくれます。それが私の古い習慣に触れたということがわかります。変える必要があるものが分かります。古いあなたが不快感を教えてくれたら、心に決める必要があります。前に進んでいくための努力をすると心に決めて努力するんです。その人に向かって微笑むということ、そして相手の瞳を見つめる事などです。

変容して自分を癒したいと思うなら、この基礎が大切です。気をつけて一歩を歩く必要があります。スケジュールがあって、プラクティスを学んで、呼吸の仕方、歩き方、食べ方、微笑む方法を学んだとしても、意識の上だけでやっていたら深まりません。

信念が大切なのです。自分には変える力があるのだと信じることです。自分で自分を変える力があると信じますか?もっと幸せになる力があると信じますか?新しい人間として生まれ変われると思いますか?

「もう全部やってみた」とあなたは言うかもしれません。そして諦めてしまう。でも、本当にそうですか?もしくは「あの人にはそれは機能するかもしれないけれど、私には上手くいくはずがない」と言うかもしれません。それが意味していることはあなたは本当に信じていないということです。あなたが自分自身を癒し変容させるということを信じていなかったらどうやって変わるでしょうか?あなたの信念はそこで死んでしまっているのです。

そこには扉ではなく壁ができてしまいます。壁にぶつかって、あなたは死んでしまいます。それがあなたの望むことですか?そうではありませんよね。

そして、感謝は私にとってチャレンジでした。シスターたちから学びました。誰かが100の良いことをしてくれたとして、その人がマインドフルでなくてあなたを怒らせたとします。それが1度起こると、まだ99回の良いことがあったとしても、100-(引く)1が0になってしまうのです。

笑わないで下さい。これが私達の態度なんです。これまでどんなに助けてくれたとしても、何も知らなかったあなたに色んなことを教えてくれたとしても、1度ミスをしたら相手の価値がなくなってしまう。これが私たちに共通の態度なんです。そういった経験があるのではないかと思います。

その人が何か良いことをしたら、石に刻んでおく必要があります。時間が過ぎてもそこにあるように。ミスをしたらそれは砂か水に書いてください。私たちはそのように勧められています。でも、私たちが実際にやるのは過ちを記憶していること。そのことが問題なんです。

どうやって感謝の心を保つことができるでしょうか。思い出す必要があります。心に刻んでください。ミスをしても大したことありません。その人への感謝に比べたら。感謝を深く刻んでいる必要があります。

でも、そのプラクティスは簡単ではありません。なぜかというと私達のエゴがそこに入ってくるからです。エゴがあるから0になってしまうのです。ありのままを見ることが難しくなってしまいます。

努力をするということがどういうことかと言うと、自分の苦悩を切り離すということです。切り離すためには強さが必要です。勇気が必要なんです。

ブッダはこのプラクティスはまず「感謝」だと言いました。感謝により苦悩を切り離すことができます。そして理解です。

変容と理解のプロセスはただ信じる力と正見がある時に起こります。それが必要な力です。それが五力です。

良いリーダーになろうと思ったら、組織や家族、あるいは自分自身のリーダーになろうとおもったら決意が必要です。そしてこれらのものが必要です。苦悩を切り離すことの美しさ、感謝の美しさ、知恵の美しさ。

そしてマインドセットについてお話すると、スタンフォードの心理学者であるキャロル・ドウェックはこのように話をしていました。「マインドセットは意見・態度・信念・見方の集合です。それはどんな人になりたいと自分が思うかによって決まります。あなたが達成したいもの価値を置いているものによります。」

私達はまたすべてのものは無常だと信じる必要があります。私たちは切り離された自己ではありません。涅槃とは言い換えればあらゆる知覚の欠如です。これが私達の道です。これが正しい理解です。それをプラクティスする必要があります。

彼女は2つのマインドセットについて紹介しました。一つは固定された「マインドセット(fixed mindset)」でもう一つは「成長するマインドセット(growth mindset)」です。これは私達の心が困難に直面した時にどう反応するかについての話です。

育っていくマインドセットでは「チャレンジが好きだ」と言います。固定されたマインドセットでは「困難は避けたい」と思います。あなたがもし固定されたマインドセットを持っていて問題を避けたいと思うなら、困難に出会った時に簡単に諦めてしまいます。言葉を習っている時に難しすぎると思ってあきらめてしまう。そのことによってあなたは新しいことを学ぶチャンスを逃しています。努力をしないんです。新しいことを得るため。自分がそれをできる機会を逃しているんです。

「もっと頑張れば良いのに」と言われても「そんなこと言われても、私にはできない」と思ってしまいます。でも、成長するマインドセットを持っていたら、努力することは身につけるための道だという風に考えます。何かに直面した時には努力することが必要なんです。ただで手に入るものはありません。自分が目指す道を基準にする必要があります。

毎朝マインドフルな呼吸をする必要があります。それが本当の努力です。気づきの日にだけマインドフルな呼吸をしても変化しません。

そしてあなたが建設的な批判に直面した時、成長するマインドセットがあれば簡単に受け入れられます。あなたに開かれた心があればその批判を受け入れることができます。なぜなら完璧な人は一人もいないから。私たちは学んでいく必要があって、変わっていく必要があります。私達の細胞がもし一瞬一瞬死んでいくことがなかったら、私たちは今このようにいることができません。赤ちゃんは大人になれません。

私達の心のありかたも同じです。学び成熟する力が必要です。固定されたマインドセットでは、建設的な批判を無視します。誰かのアドバイスを聞いた時にはそれを受け入れて下さい。学ぶためのレッスンとして。

誰かが成功しているのを見たら、その成功から学んでください。嫉妬や劣等感を感じないで下さい。自分自身の評価が低いとそのようなことが起こります。固定されたマインドセットだと、他の人の成功を脅威だと感じて嫉妬を感じます。学ばないマインドセットです。古い自分に固執しています。

これが変容と癒しをもたらすための道です。

操り人形の話に戻って来たいと思います。良かったら自分のために操り人形を用意してください。自分自身をその操り人形だと思ってみて下さい。怒りや渇望や無知にコントロールされている時、その紐を引っ張って「ああ、今自分は操られているな」ということを認識してください。自分自身の力を渡してしまっていることを。私はそれを楽しんでいます。

プラクティスをしていく中で多くの困難に出会います。自分の信じているものと違うものを受け入れること、五蘊の流れに逆らうことは簡単ではありません。これには一生かかります。でも諦めないでください。続けていれば変わっていきます。

正直に言えば私はこれまでの人生で多くの過ちを犯してきました。でも、心は教えてくれました。許すことができること、忘れることができること、覚えておく必要がないことがあること。でも、覚えておく必要があるのは、どれだけ他の人とのつながりが大切かということです。自分の周りにいる人がどれだけ大切かということ。

毎朝起きると深く呼吸をして、息をしていることに気がついて、生きていること、ベストを尽くしていること、健康であること、自分を律していること、オープンマインドなことに感謝しています。ただで手に入るものは何もありません。そして近道もありません。一夜で成功できるようなものもありません。自分自身にとっての平和の大使になってください。みなさんに「癒しの歌」をお届けしたいと思います。癒しと変容が可能だと信じてください。自分がそれができると信じた時可能になります。時間はかかるかもしれません。でもそれは決意と信念の問題なんです。

ブラザーシスターを招いて最後に「癒しの歌」をお届けしたいと思います。リラックスしながら歌をお聴きください。

シスター光山の言葉「シスターからお話があったように、私たちは100の素晴らしいことを受け取っていても一つ嫌なことがあると全部をダメにしてしまいます。そして苦しみを多く感じるわけですが、実際にはたくさんの癒しが私達の周りにあります。それを認識することができれば癒されるんです。自分を癒すことができれば周りや世界を癒していくことができます。どうぞ歌をお聴きください。」

「 Healing Song  癒しの歌」歌詞

Healing happens all around  癒しはいつもそばに
Breathe and smile 息 微笑み   
Be still and know  止まり 知る 

Healing happens all around 癒しはいつもそばに
And deep inside 深く奥   
Nothing to do することはない 

When we entrust in Mother Earth 母なる大地信じ
And let go ままに 
Healing takes place 癒されて

When we relax in what we are 私のままにゆるみ
And surrender ourselves ゆだねる
Nothing else to do ただそれだけ

Be aware of your fear/doubt/pain 怖れに/疑い/怖れに気づき
Just breathe with it 息を共に
Your presence is enough いるだけでいい

Invite your love to be 愛を招き
There with you 一緒に
Let yourself be embraced 抱きしめられて


Healing happens all around 癒しはいつもそばに
Breathe and smile  息 微笑み
Be still and know 止まり 知る

Healing happens all around 癒しはいつもそばに
And deep inside 深く奥
Nothing to do することはない


Be still and heal 止まり 癒える

(翻訳:Kumiko Jin)






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