見出し画像

なぜブッダは瞑想を続けていたのか?(雑誌の特集よりタイの言葉)

【なぜブッダは瞑想を続けていたのか?】

私が若い僧侶だった頃、なぜブッダはブッダ(目覚めた人)となった後もマインドフルのプラクティスや瞑想を続けていたのだろう、と不思議に思っていた。今はその理由がはっきりわかる。幸せというのもまた他のものと同じように無常なものだからだ。幸せが広がり新たなものとなるためには、自分の幸せの種にどうやって栄養を与えるかということを学ばなくてはいけない。食べ物なしではどんなものも生きられない。幸せもまた同じだ。もしどうやって養っていくかを知らなければ、あなたの幸せは死んでしまうこともある。花を刈って水に入れなければ、その花が数時間でしおれてしまうように。

たとえ幸せがそこにすでに現れているとしても、それに栄養を与え続ける必要がある。それは「状態を整える(conditioning)」と呼ばれるもので、とても重要だ。私たちは心と体を《手放す(letting go)》《幸せの種を招く(inviting positive seeds)》《マインドフルネス(mindfulness)》《集中する(concentration)》《深く見る(insight)》プラクティスによって幸せな状態に整えることができる。

1.手放す(Letting Go)

喜びと幸せを作り出す最初の方法は、解き放つこと、通り過ぎるということ。手放すことの喜びというのがある。私たちの多くは様々なものに縛られている。それらのものが生きていくため、安全のため、そして幸せのためには必要だと信じ込んでいる。でも、それらの多くは(もっと正確に言えば私たちのそれらが必要だという信念は)私たちの喜びや幸せの妨げとなっている。

あなたは特定のキャリアや学歴、年収や家やパートナーが幸せのために欠かせないと思うかもしれない。それなしには進んでいくことができないと思うかもしれない。でも、それを手に入れた時にも、あなたは苦しみ続けるのだ。そして同時に、もしかしたら手に入れた勲章を手放すのではないかという恐れを持つようになる。それは状況を悪くすることだってある。あなたがしがみついているものがなくなればもっと惨めになってしまう。それと共に生きることもできないし、それなしで生きることもできない。

もし自分自身が恐れを抱いている執着しているものを深く見つめると、それがあなたの喜びや幸せにとって実際には邪魔になっていることが分かるだろう。あなたにはそれを手放す力があるのだ。手放す、ということは時にたくさんの勇気がいる。でもひとたび手放せば、幸せはすぐにやってくる。どこかに探しに行く必要はないのだ。

あなたは都市に住んでいて、週末に田舎に出かけると想像してみてほしい。もし大きな都市に住んでいたら、たくさんの騒音、ゴミ、大気汚染、嫌な臭いがある一方で、たくさんの機会と娯楽がある。ある日、友人が数日間出かけることに誘ってくれた。最初は「行けないよ。仕事が終わらないんだ。重要な連絡が来るかもしれないから。」とあなたは答えたが、結局説得されて都会を離れて2時間か3時間後には田舎にいた。場所は開けていて、空を見ることができ、頬にそよ風を感じた。

幸せ、というのはあなたが都市を去ることができた時に生まれてくる。もしまだ去っていないなら、どのようにしてそのような喜びを感じることができるだろう?手放すことが必要なのだ。

2.ポジティブな種を招く(Inviting Positive Seeds)

私たちの意識の奥深くにはたくさんの「種」がある。その中から私たちが水をやったものが芽を出し、意識にのぼり、そして外に表れてくる。

なので、私たちの意識の中には地獄があり、同時に楽園がある。慈悲深く、人を理解し、楽しく生きる力がある。でも、私たちの中のネガティブなもの、特に過去の傷ついた痛みにだけ注意を払えば、悲しみの中に溺れ、ポジティブなものに滋養をあたえることはできない。私たちは何に注意を向けるかをプラクティスすることができるし、私たちの中のそして周りにあるポジティブ(明るく、前向きなもの、建設的なもの)なものにふれることで私たちの中の健やかさに水を与えることができる。それが、私たちの心の良い食べ物となる。

私たちの苦しみをケアする1つの方法は、逆の性質の種が現れてくるように招くことだ。どんなものも、それと逆の性質のものなしには成り立たないので、もしあなたが傲慢さの種を持っているなら、あなたは同時に慈悲の種も持っているのだ。私たち一人ひとり誰もが慈悲の種を持っている。もしあなたが慈悲のマインドフルネスのプラクティスを毎日していたら、あなたの中の慈悲の種は強くなる。意識をそこに集めることができれば力強いエネルギーとなって出てくるようになる。

やさしさや思いやりが現れてきた時には、傲慢さは自然に引いていく。それと戦ったり、押しのけようとする必要はない。良い種に水をやることを選んで、ネガティブな種に水をやらないようにすることができる。それは、私たちの中の苦しみを無視する、ということではない。ただ、ポジティブな種に自然と注意が向けられ、養われていく、ということだ。

3.マインドフルネスを基礎とした喜び(Mindfulness-Based Joy)

マインドフルネスは苦しみに触れることを助けてくれるだけでなく、私たちの身体も含めた命の不思議に出会わせてくれる。

何年か前、私は肺にウィルスがあり、出血していた。肺がそのようだったので、呼吸することは困難で、呼吸している時に幸せになることも難しかった。治療をした後、私の肺は回復し、呼吸も簡単にできるようになった。今では呼吸をする時、自分の肺がウィルスに感染していた時のことを思い出せばいい。そうすれば、どの呼吸も本当に美味で素晴らしいものになる。

マインドフルな呼吸のプラクティスをする時、またマインドフルな歩みのプラクティスをする時、私たちは自分の頭と心を自分の身体に帰し、今ここに自分をうちたてる。そして自分は幸運だと感じる。幸せになるための多くの条件がすでにそろっているということに。喜びと幸せはすぐにやってくる。マインドフルネスは喜びの源であり、幸せの源なのだ。

マインドフルネスとはプラクティスによってあなたが一日中もつことのできるエネルギーだ。マインドフルにお皿を洗うこともできるし、マインドフルに夕飯を作ることもできる。マインドフルに床をモップで掃除することもできる。そしてマインドフルであればそこにあり多くの幸せと喜びにふれることができる。あなたは真の芸術家なのだ。あなたはどのように喜びや幸せを作り出したらいいかを知っている。あなたが望む時ならいつでも。これらがマインドフルネスから生まれる喜びと幸せなのだ。

4.集中する(concentration)

集中力はマインドフルネスと共に生まれる。集中力にはあなたを苦しめている苦悩をうちはらい、打開して、喜びと幸せを招く力がある。

この瞬間に留まるには集中力がいる。未来への心配や不安はつねにそこにあり、私たちを連れ去る準備をしている。それらを見て、認識し、集中力を使えば、この瞬間に戻ってくることができる。

私たちは集中している時、たくさんのエネルギーを持っている。過去の苦しみや未来への恐れに運ばれていってしまうことはない。この瞬間にしっかりと住み、命の不思議に出会い、喜びや幸せをもたらすことができる。

集中とは、いつも何かに対する集中なのだ。もし自分の呼吸にリラックスしながら集中していたら、あなたはすでに自分の内側の強さを栄養を送っているのだ。集中するということは重労働なわけではない。がんばって大きな努力をする必要はない。幸せは軽やかにそして簡単にやってくるのだ。

5.洞察(Insight)
マインドフルネスがあれば、私たちは自分の身体の緊張に気づくことができる。それをゆるめたいと思っても、ときとしてそれができないこともある。その時必要なのは洞察なのだ。

洞察とはそこにあるものを見るということ。そこでそこにある苦しみ(たとえば嫉妬や怒り)が明らかになれば、自分自身を解放して真の幸せを招くことができる。私たちの誰もが深く見る力をもっているが、いつも幸せのためにそれを使えているわけではない。

たとえば、恨みや渇望は私たちの幸せの妨げにりな恐れや不安をもたらすなると分かっている。そのために眠れなくなるような価値があるものではないと分かっている。それでもなお、わたしたちはそのために時間をエネルギーをつかってそのことの心配を絶えずしてしまう。私たちは一度捕まったことのある魚のようなもので、えさの中には針があると知っている。もしその魚に洞察力があれば、その餌に食いつかない。その針によって囚われてしまうことをしっているから。

けれど私たちはしょっちゅう恨みや渇望に食いついてしまう。そして囚われてしまう。我々は本当は自分が気をかけるべきではない状況につかまり、執着してしまう。もし、マインドフルであり集中力がそこにあれば、洞察がやってきて、そこから脱出して自由になることができる。

春になると多くの花粉が空を舞い、アレルギーによって苦しめられる人もいる。5マイル走るときではなく単に座ったり横になったりするだけでもうまく呼吸ができなかったりする。だから冬には花粉がないのだから、寒さについて文句を言う代わりに、4月や5月には外に行けなくなってしまうことを思いだせばいい。肺はクリアで、すがすがしく散歩して気持ちよく呼吸ができる。私たちは意識的に過去の経験を思い出し、今ある素敵なものを大切にすることを助けてくれる。

過去には様々なことに苦しんだかもしれない。それは地獄のような経験だったかもしれない。でも、もしその苦しみを覚えていて、それに流されてしまうことがなければ、自分に思いださせるために使うことができる。「今私はなんて幸運なんだろう。あの時の状況に今はいないのだから。だから幸せだ。」それは洞察だ。その瞬間、自分の中の喜びや幸せは大きくなる。

(翻訳・書き起こし:Kumiko Jin)

ーーーーーーーーーーーーー
ティク・ナット・ハン「マインドフルネスの教え」
HP: https://www.tnhjapan.org/
Facebook: https://www.facebook.com/tnhjapan/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?