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2016年5月2日 富士山リトリート ブラザーファップニィェムの法話「幸福とは何か?」

「幸福とは何でしょうか?」
幸せというのはどこか遠くにあると私たちは思ってしまいます。そして今を犠牲にしてしまうのです。

目標や手に入れたいものを決めて、「これを叶えれば幸せになれる。」と思ってしまいます。でも、それを達成すると、それを達成した瞬間は幸せになれるけれど、しばらくすればすぐに戻ってしまうということがよく起こります。

ブッダにとって幸せとは何だったのでしょうか?

それはどのように物事を見るかということにあるのです。仏教というのは物事の見方を学ぶためのもので、物事の見方を変えるためにあるとも言えます。仏教の教えでは物事を正しく見ることが自由や幸せにつながると考えています。周りにある物事や状況を変える必要はないのです。変えるべきは誤った認識です。

物事の見方には2つの見方があります。1つは相対的な真理で、1つ1つのものが個別に存在している、という考えかたです。何かが永遠に変わらないものと考えます。その考え方では、生と死は別のものであり、父は父で息子は息子だと考えます。それが真理だと思い込むと差別や憎しみや怒りや執着を持ってしまうことになります。

もう1つは絶対的な真理で、現実というのは生も死も分かれて存在するわけではないし、父や子が別々に存在するわけではないという考え方です。物事を深く見ると相互が存在を支えていることが分かります。

幸せと苦しみというのは別々には存在していません。物事の苦しみの根を見つめることができた時にはじめて誤った見方から自由になることができるのです。

正しく見るとはどういうことでしょうか。それは我々はinter-beingであると見なすことです。自分と人や物を区別せず、相互存在だと見ることです。

あなたが自分だと思っているものは自分じゃないものからできています。まずお父さんやお母さんがいなければあなたは存在していないし、あなたの周りにある多くのものがなければあなたはあなたではありません。

あなたの手はある意味お母さんの手であり、おばあさんの手でもあるのです。だから自分の両親を憎む時、自分自身を憎んでいることになってしまいます。自分の中をよく見つめていれば理解できると思います。あなたはもしかしたら両親のために苦しんだかもしれません。でも、両親も苦しんでいたのだです。両親は良い点も苦しみもどちらもあなたに与えています。だから両親を責めるということは、自分自身を責めるということなってしまうのです。

正しいものの見方をすることができれば思いやりや安らぎを持つことが可能です。私たちはみんな相互存在であり、そしてどんなものも変化していくということを理解することが大切です。マインドフルネスとは「思い出す」「覚えている」ということです。幸せになるための十分な条件をすでに備えていることに気づくことなのです。

そのために私たちは呼吸に帰るようにします。吸う息が吐く息の続きであると思い出すことは、生と死が分かれてあるわけではないことを思い出させてくれます。今ここを深く見つめるということは大切なものを大切にするということです。深く見れば無常が見えてきます。無常が見えれば生命を大切にするようになります。今ある命をもっと大切にできるようになるのです。そうすれば後悔もしなくなります。

今誰かに苦しめられていると思っていても心配しないでください。全ての物事は変わっていくものです。まずは自分を変えることが大切です。それが状況を変えることの助けになります。

(翻訳・書き起こし:Kumiko Jin)

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ティク・ナット・ハン「マインドフルネスの教え」
HP: https://www.tnhjapan.org/
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