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音楽から彼を思う

田舎住まいなので、自家用車による出勤だ。今は17分、踏切に捕まったら20分くらいで出勤できる。

昔、当時の上司に
「勤務時間は10分以上は欲しい。気持ちを切り替えるために」
と言われたことがある。そういう意味でもちょうどいいくらいの勤務先だ。
通勤時間にかける音楽、3年前までは専ら学生時代から好きだったロックバンドのものだったが、今はとある20代アーティストの曲ばかり。私の大好きな先生から紹介してもらったアーティストだ。

よく、この曲を聴くと昔を思い出す、というが、私は彼の歌声によって、先生を思い出す。
そのアーティストは私だけでなく国内、あるいは世界中にファンが多く、メディアで取り上げられることも多い。彼が有名になればなるほど、紹介してくれた先生のことを誇りに思う。
そして彼の魅力的な声で、複雑な想いやシンプルな主張が伝わってくるたびに、あたかも先生の気持ちも同じなのではないかと錯覚する。

金曜日、先に退勤した先生から、残業中の私にLINEが届く。
新曲が出ましたよ、楽しんでください、
と、音源付きだ。
今週から始まったドラマの主題歌で、そのストーリーや登場人物たちの悩みが歌詞の中にも、ふわっと入っている。

先生と知り合ってすぐ、おすすめの曲です、と今日のようにLINEで紹介される。私より年齢上なのに、趣味が若い!と伝えると、
彼の曲は年代を超えます。
と、返された。

CMで知っていたその曲を何度も聴いていくうちに、新しい音楽との接し方を知る。CDで聴けない曲をどうやって生活の中に取り込んでいくかを、やっと知ることができた。それは自分の暮らしを豊かにするだけでなく、仕事もやりやすくなったり、子どもたちの生活にすら影響を与えた。と同時に、子育てや家事、仕事に追われる毎日で、すっかり流行や文化的なものから遠ざかっていたことを実感した。

そうこうしている間にLIVEに行くこともあり、ファン層が私と同年代、あるいはもっと歳上の方々の姿も多く見られ、私自身が持っていた固定観念を覆す体験もできた。年末の歌番組に出演したあとは、LIVEチケットを入手することも困難になってしまったのだが。

そんな風に、新しい文化を取り入れた私のことを夫は快く思わなかった。
他のアーティストと、たいして歌い方に違いがない、個性がない、と暗に批判してくる。
一方、3人の子どもたちは、車に乗ればそのアーティストの曲に触れ、日常的に口ずさむようになる。
友達のお母さんやお兄ちゃんも、この人の曲が好きなんだって、とか
お母さん、〇〇くんの曲流れてるよ!と、盛り上がることもあった。

そして、私と先生のことが夫に知れると、そのアーティストの曲は、夫の心を苦しめるテーマソングと化す。私の車に夫が乗り込んできた時は、注意深く音楽を消し、テレビで流れ出すと子どもたちがチャンネルを替える。夫の在宅時に、弟が不意に歌を口ずさむと兄が止める、というような生活になった。
そのアーティストは愛や感謝を歌っているのに、夫にとっては不倫や疑惑の歌になってしまったのだ。夫の不機嫌の原因を知っている子どもたちは、音楽をはじめ、生活の様々な点において
そんなことしたら、お父さんに怒られるよ、
と気を遣いだす。

そして家庭内別居状態になった頃、そのアーティストは、悩みからの解放、自由への喜びを歌う曲をリリースする。
その時もすぐに先生から情報が入り、職場で出会ったときには、鼻歌まじりに近寄ってきて、
まさに今の状態を表したような新曲でしたね、
早く旦那さんから解放されればいいのに、
と、笑顔で話して立ち去る先生に対し、自由になるための痛みや犠牲も知らないくせに、というようなことを毒付いた。

別居生活がスタートし、最も嬉しかったことのひとつは、いつでも好きな曲を聴けることである。子どもたちも、車に乗ると自由に好きな曲を組み合わせて音楽を楽しむ。かつては歌うことも聞くことも自粛していた私の大好きなアーティストの曲を熱唱することもある。

ふと思う。先生のことを嫌いになったら、会えなくなったら、私もこのアーティストの曲を聴かなくなるだろうか。
いや、音楽だって、一度好きになったら、止められない。そんな気がする。

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