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猫の看取り日記#2

前回の続きです。
まだお読みでない方はこちらからお読みいただけると幸いです。

Y日
こうして骨壷を前にご飯を食べていると、
全てが夢のように思えてくる。

一週間前、はじめて呼吸が荒いのに気づいて、
母が慌てて病院に連れて行ったこと。
私はその時学校にいて、いつも通りの日常を過ごしていたこと。

土曜日はまだ病院に行って検査を受けるだけの体力はあったこと。
思い返してみれば
猫が鳴いたのはその検査を受けている最中に抵抗として発したものが
最後になったこと。
私はそのあと友達とカラオケに行ったこと。

日曜日、母と猫と、3人で外を散歩したこと。
何かを決意したように、猫はあるところから
一歩も立ち止まらずに長い距離を歩いたこと。
母が泣いていたこと。
その日から私たちは
リビングに布団を敷いて寝るようになったこと。

月曜日、いつもの駐輪場に自転車をとめて学校に行ったものの、
帰りに大きなスーパーに寄って
ペット用品を買ってきてほしいと頼まれ、
坂を無駄に往復したこと。

火曜日、スーパーの近くの駐輪場に停めたら、
今度はいつもの駐輪場の近くにある動物病院で
薬を取ってきてほしいと頼まれたこと。
初めての粗相と流れっぱなしのよだれに動揺して、
猫の前で号泣してしまったこと。

酸素室が届いたのもこの日だった。
そこからは酸素室から少しでも出ると
苦しくするようになったこと。
けれど、ずっと狭いプラスチックの箱に
閉じ込められているのがかわいそうで、
母が外出している間にこっそりベランダに出したこと。
苦しそうだったけれど、
外に出られた喜びを噛み締めるように一歩一歩歩いて、
あるところで力尽きて横向きに倒れてしまったこと。
慌てて酸素室に戻すと同時に、
やっぱりこの子は外に出たかったんじゃないか、
私はこの子の気持ちがわかる、
と少し誇らしく思ったこと。

水曜日、ひたすら酸素室の小窓から体を撫でていたこと。
気づいたら寝てしまっていて、その間に私の腕は窓から抜けていて、
酸素濃度が下がっていて、パニックになりながら猫に謝ったこと。
その日、病院に行ってもらった薬は
苦しくなった時に飲ませて眠らせる鎮痛剤だったこと。
後から調べたらそれは麻薬だったこと。
夜、これからどんどん苦しそうになっていった場合、
安楽死させるか母と話したこと。
私はさせたくないと言ったこと。合意したこと。

木曜日、私が学校にいる間に先生が往診に来てくれたこと。
学校が終わって母に電話すると早く帰ってきてと言われたこと。
焦る気持ちを抑えて、いや抑えきれなくて自転車を飛ばしたこと。
また小窓から手を入れて撫で、ひたすら語り続ける時間が続いたこと。
ゆっくり目を瞑って合図すると、目を瞑り返してくれて
本当に嬉しかったこと。
そのあとはもう合図をしても返ってこなくなって、
目はどこか虚空を見つめていたこと。
鎮痛剤を飲ませても効かなかったこと。
一日前にした決断が揺らいでいたこと。実際、用量以上を飲ませたこと。

深夜。私は疲れて眠ってしまっていたこと。
母に起こされたこと。
朦朧とする意識の中で小窓から手を入れ、体にふれると、
心臓の拍動がいつもと違って急に目が覚めたこと。
一生懸命語りかけたこと。
5分だったか3分だったかもしかしたらあれは1分だったか、
あっという間に次の拍動は来なくなっていたこと。
酸素室から出して胸に抱いたあの時、
まだ命の灯は消えていなかったのだろうか?

そのあとは、訳もわからず泣き、
かと思うと急に涙は引っ込んで
無心で母と一緒に体を拭いた。
2時間で硬直が始まる、と何度も言われたから、
ずっと抱いてあったかくした。
この腕から離したらもう二度とぬくもりは戻ってこない気がした。
2時間後、かちこちし始めた。
驚きはしなかった。たまに泣いて、泣き止んで、また泣いた。
私の方が本能のままになっている動物か赤子のようだった。
母は泣いていなかった。
母がお腹に保冷剤を入れようというから、
そんなの寒くて痛くてかわいそうだと言った。
結局、薄手のタオルに巻いて入れた。
その夜は亡骸を枕元に置いて眠りについた。学校は休んだ。
目覚めて硬い体を触ると、また涙が溢れた。
とにかく悲しかった。寂しかった。これ以上ない絶対性を突きつけられて、どうすることもできなかった。

ありがとう。今まであなたと一緒に生きてこられて、幸せだったよ。

今もまだ、寂しいな。

それでは、また、次回。

るり


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