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自分の作った音楽との距離

自分が作った曲は、その後さまざまな道のりを辿る。

リリースされずに終わるものや、リリースされても注目されないもの。タイアップが付き多くの人に楽しまれているもの。予想もしない海外で楽しまれているもの。リリース時には注目されないが、長くカラオケなどで歌い継がれているもの。誰かが受験勉強を始めるきっかけになったもの。誰かの不登校を終わらせたもの。

どれも、自分としては作品としての優劣はなく、その曲が持っていた宿命としか言いようがない。たまたまこういうふうに作られたものが、たまたまそういうふうに受け取られる。そんなつもりで作ったわけではなかったものでも、受け取り方は自由。その過程を、自分ではコントロールできない。


池澤夏樹は芥川賞受賞作の「スティルライフ」の冒頭でこう書いている。


世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界と君は、二本の木が並んで立つように、

どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。


自分にとって、これは音楽に置き換えられる。


自分の作った音楽が自分のために存在すると思ってはいけない。

音楽は自己実現を達成するためのものではない。

自分の作った音楽と自分は、それぞれまっすぐに立っている。ただそれだけ。


自分が作った音楽は、手塩にかけて育てるように作ったもの。そこには自分にしか分からない工夫が詰まっている。その工夫とは、自分が努力した結果ではあるけれど、そもそもそのきっかけは自分の外側にあったもの。外側のおかげで形にできたのもの。


音楽が完成した暁には、こちらの思い込みとは関係なく勝手に巣立っていく。

自分にできるのは、それを微笑ましく眺めるだけ。

良い結果が出た時は少し誇りに思わせてもらうけど。

(BNN社「Logic Pro で曲作り!」より)

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