木の文化の再生に向けて その二   第二のヒューマン・ルネッサンス

さて、前回述べたように物質文明の肥大化によって個々の人間は部品化し、物質化する中で多くの人々はこのメガトレンドの渦に巻き込まれながらも何とか抜け出す道を、救いを求めていることはひしひしと感じる。
今日の世界を俯瞰しても、オルテガ・イ・ガセットというスペインの哲学者が述べているように、己を捨てて世のため、人のために尽くすというエリートがほとんどいなくなった。その中で、アフガンで射殺された中村医師のように、医者でありながら治療のみならず、人々の生活に深く入り込み、生活改善、環境改善にまで叡智の限りを尽くした素晴らしい人格も存在することは有難い事である。私達は、彼の遺志を継いでそれぞれの立場でエリートになると共に、若いエリートのための道を開く手助けをしなければならないだろう。
前にも述べたように、人間は、他力本願で自愛主義者、自力本願で他愛主義者に区分できるようだ。その中で、前者が圧倒的に多いのは群れを成して生活する動物の本質から来るのだろう。キリスト、仏陀、モハメット等はエリートの最たるものとしてその存在を宗教にまで高め、いまだに多くの人々の心の支えになってきた。しかし、彼等を引き継いだ者は多くが他力本願で自愛主義者のため、同じ人格の人間の心情に精通しているためこれを己の権力、権威に上手に利用し、教祖のエリートとしての本然をゆがめてきたことが相互不信につながり、宗教間の抗争にまで及んでいるのであろう。過去のルネッサンスもキリスト教の腐敗から生まれ、その反動が物質文明の起爆剤になったとも考えられるだろう。
 現代は、皮肉なことにこの物質文明が現人神となり、貨幣を神と崇めるごく少数の人間に全ての権力が集中しつつある中で、一般大衆の物欲の亢進への仕掛けが次々と進められ、物欲をつかさどる大脳の古皮質の機能ばかりが拡大してきた。この物欲は、一切の制限が設けられていないため、世界中の全ての人々に拡散してきたのであろう。
しかし、今の若い世代は、特に先進国において物欲の充足した社会で生活しているため、物の溢れる社会での、自分が何も関われない社会での自己存在に矛盾を感じる者が多く現れてくることは当然の帰結であろう。その結果、物の充足の次に来る心の充足を求める流れが生まれてくるだろう。物質文明を主導する連中が、この領域への仕掛けを企てたとしても、所詮それはバーチャルリアリティーの世界に過ぎないから、この世界が飽和点に達するとリアリティーを求める流れが生まれてくるだろう。これが第二のヒューマン・ルネッサンスの創生に繋がっていくだろうと推測している。
最初のルネッサンスに到達するまでには1000年の時を要したが、第二のルネッサンスには150年ほどで実現するかもしれない。(続く)

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