木の文化の再生に向けてその五    紙製の調度品

廣瀬正男があらわした「紙の民具」の中で、紙を用いて作られた代表的な民具を列挙すると70項目におよび、それぞれのバリエ-ションを考えると大変な数になる。我が国において生活文化を論じる場合、紙抜きには論じることは不可能なくらい生活に密着したものとなっている。 我が国における紙の文化は独特のもので、それは和紙の発明とそれを可能にした優れた植物繊維が豊富に存在したことに負うところが大である。紙は中国の後漢和帝の時代(西暦105年)に蔡倫により筆写材料として工夫されたと伝えられている。我が国に、その技術が伝えられたのは三世紀後半から四世紀にかけて朝鮮との交流による渡来者の受け入れの際に一緒に入ってきたとも、あるいは推古天皇の時代(西暦610年)に高句麗の僧、曇徴によって伝えられたとも言われている。
いずれにしろ、奈良時代の絢欄たる仏教文化の開花の下で、経典の写経のための紙の需要が増大したことが我が国の製紙業を発展させる契機となったと考えられる。この時代の紙は正倉院に8世紀の初めから11世紀に及ぶ諸官庁用紙、写経用紙、絵画装飾用の色紙加工紙等の広範囲にわたるものが収蔵されているのを見てもその発展ぶりを窺い知ることが出来る。朝鮮半島を経て中国から伝わった製紙技術は溜め漉き法であったが、我が国において独自に流し漉き法が開発され、紙の質を向上させると共に成紙の厚さの範囲が広がり、雁皮、楮、三椏および麻等の植物繊維に恵まれたおかげで、美しく、強さと粘りのある和紙が作られた。平安時代に入ると、王朝文学の全盛期に紫式部や清少納言等によって女性の繊細な感性が和紙の美しさや質を高めるのにおおいに役立ち、さらに、平仮名の発明が紙の質に繊細さを求めたため製紙技術や技法が発展し、後のちまで和紙の文化が発達する基礎がこの時代までに作られたと考えられる。このようにして、和紙は日本人の情緒と深く関わるものとなり、生活のあらゆる場で使われることになったのであろう。これも、優れた植物繊維を生み出す豊かな自然環境と、この環境にあってその中から紙漉きに適した材料を選択し、伝来の技術を基により優れた技術を生み出す能力を持った人々が存在したからに他ならない。 
平安時代が終り、しばらく戦乱の世が続くが、安土桃山時代から江戸時代へと世の中が平安になるにつれて、これまでの蓄積された紙の技術の上に町人文化の花が開き、紙は庶民から上層階級まであらゆる階層の人々の身の回りの調度に用いられるようになり、この時代の重要な経済品目としてその生産が殖産奨励されたのであろう。
特に、江戸時代にあって、徳川幕府が定めた幕藩体制は藩ごとに自給自足経済を原則としたため、全ての産業についてきめ細かな奨励策が取られた中で紙の生産は平和な時代の文化の発展とあいまって重要な産物となり、これと平行して多彩な紙の文化が発展することになった。
 紙製の調度を「紙の民具」から引用すると、よそおい紙、つくろい紙、畳紙、懐紙、鼻紙、ちり紙、おとし紙、かけ紙、つつみ紙、らい紙、しぶ紙、あぶら紙、かうより、みづひき、しきし、たんじゃく、衝立、屏風、襖、障子、行燈、提灯、紙さいふ、うちわ、扇等枚挙にいとまがない。 かけ紙、つつみ紙、らい紙について廣瀬正男は次ぎのように述べている。 ”かけ紙(懸紙)は贈り物の上にかけるノシ紙(熨斗紙)で、つつみ紙(包紙)は贈り物をつつむ紙、らい紙(礼紙)は書状をつつむ紙である。 いずれも礼法に従うので、贈るものあるいは書状を大切に、その品位を高め、さき様を敬い、自分の純心誠実を表わすことに他ならない。すなわち、それらのことを、紙の清浄な美しさで示し、紙で包むことで、内のものも外の紙に等しい風格をそなえさせるのである。”
昔の人々は、紙の利便性を追及しつつ、そのものの持つ美しさに自己の精神性を移入していたことを窺い知ることが出来る。ものと人の情緒が表裏一体となった精神文化は万物に神の存在を認める古代信仰に基づくものであろうが、自然との共生を知恵の根源とするほど、日本の地理的条件は恵まれていたのであろう。この自然との共生感覚が際立った形で紙製の調度として現われたのが近世の書院造りに普及したあかり障子であろう。
紙漉きの技術の進歩と、武家の質実剛健の精神があいまって生み出した書院造りでの「あかり障子」は住宅建築の中の調度の傑作と言える。 
襖障子からあかり障子へと発展していった過程には美濃紙(美濃書院)に代表される雅味のある薄くて丈夫な紙を漉く技術があった。
このあかり障子は日本人一般の好みに合ったのであろうが、安芸の諸口紙、信濃の内山書院、高知の土佐書院等地方色豊かな独特の障子紙が開発された。これらは近世の住宅文化の底辺を支えると共に、地方での紙の需要を支え、後の町人文化の発展へとつながっていったと考えられる。われわれ日本人の祖先は紙という素材そのものを調度にまで高めるという豊かな情緒を厳しい年貢の取り立ての中でも育む精神を持っていたのである。                                  あかり障子と並んで紙製の調度として注目しなければならないのに襖や屏風がある。 あかり障子がその清楚な美しさでもって自然との共生感を光と陰で演出したのに対して、襖や屏風はその上に肉筆によっていろいろのものを描き、人工的な美の世界を住空間で演出した。 これらは平安時代から襖絵、屏風絵として発展し、安土桃山時代に絢爛豪華な花を咲かせた。 この過程で襖紙も種々の工夫がなされ、近世以降、町人文化の発展と共に需要が増えた時代には肉筆でなく木版印刷による大量生産方式が開発され、種々の加工法も発展し、調度として愛用され、独自の文様による襖絵が多く出現し、今日の和風住宅の住空間を演出する基礎が築かれた。この多彩な襖絵の技法も原紙である和紙が強靭であったからこそ成しうる技であった。(続く)

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