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がんばらないことを選択する日がくるなんて

何かをがんばる気持ちを抑える日がくるなんて、
がんばらないことを選択する日がくるなんて

最近サブスクで観始めたドラマ、コントが始まるのセリフで激しく共感して食い入るように画面を見つめたシーン。

休職中は家にいる間は基本寝るか、たべるか、ドラマを見るか、本を読むなどしている。

コントが始まるは何となくすごい人がいっぱい出てるしみてみよ〜と軽い気持ちで見始めたが有村架純が演じる役に自分を重ねずにはいられなかった。

まじめに育って大手企業で働いていたOLが会社でのある出来事をきっかけに退職し、1ヶ月家から出られなくなり、掃除がされていない荒れた家にいるのを妹に見つけてもらい、ファミレスでアルバイトをしている役だ。(何か分かりづらくなってしまったが、OLを辞めてアルバイトをしていると書きたかった、、。)

彼女が友人たちに自分の今までの境遇を話すシーンではじめに書いた、がんばらないことを選択する日がくるなんて、と涙を流して震えながら話していた。

いや、ほんと、それな、、、と軽い言葉になってしまうけど、まじでそれな、、と頭がもげるほど頷きたい気持ちが溢れた。

わたしも学生時代は自分で言うのもあれだが、それなりに真面目な方だったと思う。
というか、真面目だねとかなり言われて育ってきた。
小学校はまぁ普通の生徒だったと思うが、成績が自分の進路に直結し得る中高では勉強もめちゃくちゃがんばるし、部活もめちゃくちゃがんばる学生だった。
勉強があまり苦ではなかったこともあり、高校、大学はそれなりに名の知れたところに進み、行く先々で良い顔をするので周りの環境にも有難いことに恵まれ、時には辛いことも勿論あったが頑張れば何でも手に入ると信じて疑わなかった。

それが社会人になりいきなりハードな環境に置かれ、私頑張るの得意だし、頑張るの結構好きだから大丈夫、これくらい大丈夫、と頑張り続けたら気づいたら心療内科の待合室で涙を流しながら診断書の発行を待っていた。

鬱と初めて診断されたのは、もう2年近くも前だが未だに、こんなはずじゃなかった、、、と思うときは少なくない。

わたしあんなに頑張ったのに、頑張れてたのに、

人生で頑張れる数値のマックスが決まっているのなら学生時代に一気にがんばるべきではなかったのか?とか、これは一種の燃え尽き症候群のようなものなか?とかとにかくなんでわたしが?という思いは今でも拭えない。

ドラマでは今でも手を抜けるところは抜くようにしてると有村架純は役で話してた。

がんばらない生き方とか、ゆるく生きるとかそういう本や言葉をよくみるようになったしそういう生き方も勿論素敵だし素晴らしいと思う。

だけどがんばる生き方も選択肢のひとつとして選べる自分でありたかったな、と望む自分もどこかにいる。

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