なぜコーポレートデザインにこだわるようになったのか
会社ってなんですか?
ほうじん【法人】
個人(自然人)以外で,法律上の権利・義務の主体であるとみとめられたもの
法人とは、バーチャルな主体です。
構成員は従業員だったりそれ以外の協力者だったり、経営者だったり。構成するそれぞれの人達(Agent)によって主体として動くようなものだとおもっています。今日はこの話をしたいと思います。
なぜコーポレートデザインにこだわるようになったのか?
私は、大学院修了後、20代で上場IT会社の取締役になりました。ある会社の技術評価をすることになり会議に出席したところ、私が取締役に就任することが出資の条件になってしまったためです。
その会社は、20年前の段階でGoogle Mapのようなものを実現しており、その時点で大きな技術的競争力をもっている会社でした。
その後、その会社は私が在任中の9年間で60名売上5億円程度から、グループ1000人100億円の売上となりました。その間、私はいくつかの会社をM&Aと経営を経験しました。
M&A等でばたばたしていた時代
私が経験したのは、一つのビジネスドメインではなく、ITでも米国セキュリティソフトウェア、SESや受託開発、スーパーコンピュータークラスタコンピューティングの会社などもありました。IT以外にも、ハンドバッグの製造メーカー、ダムの設計をおこなう建設コンサルタント会社、衣料品のブランド・製造メーカーなどの経営も経験しています。ホールディング化などの企業再編も経験しました。いくつかの会社では、私が経営することで過去最高益を出すことができました。
一方で、村上ファンドさんに出資していただいた関係で大きく荒れたり、当時の筆頭株主である会社が倒産したことにより、貸倒があったり、危機や訴訟なども経験して、このあたりの後ろ向きな対応も主たる業務として経験することになりました。(これは、そこそこ有名な事件になり、今でもたまに知っている方に会います。幸いなことに7年の訴訟を経て完全に勝訴しました。)
自分が退任してから、見事にこの会社は縮小していき、10年で僕がはいったときの規模以下になっています。
もっとも村上ファンドからの投資が大きく会社として財務体質はまだ無事です。しかし可能性ある事業はほとんどが大きく縮小、外部に貴重なやる気のある人材も流失しました。
経営と株主によって企業はよくもだめにもなる!
さきほども書きましたが、20年も前の段階でGoogle Mapのようなものを実現しており、その時点で大きな技術的競争力をもっている会社でした。それ以外にも、河川ダム分野という非常に重要な領域で日本トップの技術力ををもつ会社や、グローバルブランドに匹敵する「ストーリー」を持つハンドバッグブランドなどがありました。これが世界をとれず、事業が縮小してなくなってしまったのは、経営の問題であり、また経営に影響する権限をもつ株主の問題である。社長ではなかったのでどうしようもなかったといえばいいわけになりますが、自分が経営の一端にいたものとしては、経営と株主が大事だと本気で考えたわけです。
事業が大きく広がる可能性があっても、才能あふれた人が集まっていても、マネジメント・経営がだめなら絶対だめ。また株主の意向に経営は大きく左右される。才能ある人や良いシーズがたくさんあっても、「会社の中で事業が成長するかどうか、その中の人が、活躍できるかできないか)は、個人の力だけではなく、経営の設計プラットフォームとしての会社のあり方に大きく依存するのです。
アーリーリフレクションの設立へ
アーリーリフレクションという会社は設立は少し古いのですが、それは私がまだ上場会社の経営者だったころに、その次の会社として理想的にやりたいと考えて、発起人として作った会社(役員ではない。念の為)だからです。当時US CPAの勉強をしていた弟に代表をお願いしました。友人のCDをリリースしたり、デザイナーのしごとの受け皿になったりしました。
「アーリーリフレクション」(初期反射)のコンセプトは当時から変わらないのですが、実際にきちんと動き出すには、当時はまだ知識も不足しており、だいぶ後になります。
9年つとめた上場会社を辞めてアーリーへ
後ろ向きな活動が多く前向きな取り組みができない上場会社(代表=経営)に限界を感じ、とはいえ自分が代表となることはできず。それまで後ろ向きな仕事をたくさんこなしながら、経営の一端にいる責任感から残っていましたが、9年目に辞めることにしました。
辞めるまで、Y combinator のPaul GrahamのStartupに関するEssayや、Railsなどを開発している37Signals Getting Realという文章にも大いに影響されました。やめた年に同じく37signalsがReworkとう本が出版され、退任した身でこれをたまたま読み、大いに勇気づけられました。この本はいまでも社員に配っています。
その後、中国でのライフサイエンスプロジェクトを経験したあと、教育系企業に就職して二年ほど新規事業の立ち上げを行いました。その教育企業の労働集約的な会社のデザインは、ある意味で大変見事で、その経営マネジメント手法も勉強になりました。私は、コンサルファーム出身者とのチームで、動画を用いた新規事業の立ち上げにを行いました。事業会社出身は私だけだったのですが、有名コンサルファームの仕事の仕方や、ノウハウを知り、大いに勉強になりました。その中のひとりはアーリーが独立したときに役員となり、協力してくれました。
教育企業でのプロジェクトは、たくさんの優秀な学生がアルバイトをしていたので、良い仲間を見つけることができました。その何人かは10年以上社会人経験を積んだのち、安定した企業で活躍する選択をせず、オフィスもろくに無い状況のアーリーリフレクションに来てくれて、現在活躍しています。
なぜコーポレートデザインにこだわるようになったのか?
上記のように、良い事業をもちながらも会社をうまく経営することができない例を目の当たりにした結果、私は、自分の理想的と考えるやり方をしてみよう、と遅まきながら考えた。「経営」「株主」「会社設計」の重要さを思い知り、企業の設計(コーポレートデザイン)にこだわろうと思ったのです。
次の話 「プラットフォームとしての会社」
その次 「アーリーリフレクションというプラットフォーム」
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