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経営判断としての処遇と心の天秤

経営判断として、
処遇を考える時、
判断基準の一つに心の天秤を持たないといけません。

経営をする側に立って物事を考えた時に
色々と判断し、決断をすることがあります。

いや、むしろ判断と決断が仕事です。
また、責任を取るのも職務として考えなければなりません。

責任を持って決断する中で、
1人の社員の処遇をどうするか?
という判断を求められることがあります。

公正と公平を判断基準として
4人と120人を天秤にかける

例えば扶養家族が3人いたとして
1人の社員とその家族、
1人と3名の扶養者として考えれば
4人の生活と

その他社員、
30人の社員がいたとして、
3人の扶養家族がいたとすると、
120人の生活

天秤にかけた時、
当然、重みは30人の社員の生活になります。

その1人の社員に、もしも、処遇として処分される責があるとすれば、
30人の社員の生活を守るための判断をします。
場合によっては会社を去ってもらう選択肢もあり得ます。

なので、人の処分を求められたときは家族を含めた守るべきものの重みを基準にします。

もちろん、正義の基準に則ったとき、少数派、例えば1人とその家族含めた4人の重みが勝ることもあります。

その1人生活を守る重みが勝った時は覚悟を持って判断し、
決断した結果として、責任を取ることもあります。

なので、覚悟を持たない責任者は正義を基準に入れずに考えます。
心の天秤を持ってなければ、自分の保身のみの重みを採択してしまいます。

大きな組織であればあるほどその傾向はあると思います。

この判断を採択する責任者が多ければ多いほど、
人が育たなくなりますので組織の発展は遅れていきます。
背中を見て育っていきますから。
この責任は、本来その上層組織にあります。
任命責任として。

ここからは私の話です。

私は前職を退社するときにこの少数派の重みを採択しました。
結果、会社を退職する選択を選びました。

もちろん組織に残されるメンバーに非はありませんし、
その選択肢が一番、残るメンバーにも良いと判断しました。

誰のために何の判断をするのか?
その選択肢は正義の基準に則ってるのか?
少し言い方を変えましたが、この判断基準にブレがあると、
自分を許すことが出来ず、後悔する。
自分ではなくなってしまう性格が心の天秤として私にはあるからの決断です。

退職して約一年になりますが、
残るメンバー、残されるメンバーの未来、その家族の未来、
そして、自分自身の未来のために最善であると
当時の状況で判断した結果ですので全く後悔はありません。

想定した未来であることを切に願っています。


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