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心は変化に弱いから

今年も冬がやってきた。

先週くらいまで、「10月なのに暑いなあ」と思っていたのに。窓に結露がついて、布団から出るのが恋しくて、お湯に触れるのが心地よい。寒さを感じる季節が、急に訪れた。

お昼が近づくと、だんだん暖かくなり。お昼過ぎに長袖1枚で外に出てみたら、ほんのり暖かく、気持ちのいい気候だった。


きょうは自宅でリモートワークの日。

だから出社の慌ただしさもないし、外も暖かくなりエアコンいらずで快適に過ごせている。なのに。なぜか、心がずっとそわそわしている。

えっ、なんでだろう?

思い当たることがないのに、心が落ち着かない感覚だけがあり、しばらく戸惑う気持ちでいっぱいだった。


心は変化に弱い。よく知られた話だが、ストレスとは嫌なことに対する心の反応ではなく、あらゆる変化が心にかける負担のことを指す。だから、現実が激変するとき、私たちはできるだけ自分を変えないように必死に抵抗する。

 —— 心はどこへ消えた? 47p

わたしの心は、ビックリしていたのだと思う。外の世界が急に変わったことに。

朝は寒いことに驚いて。お昼過ぎには、暖かくなったことについて行けず。「もうこれ以上の変化は無理だよ」と感じて、暴れていたんじゃないかな。


心は必死でヘルプを出していたのだと思う。

それを私は、なんか“そわそわ”しているな、と受け取った。「あ、これは無理しきゃいけないやつだ」と悟って、いつもよりこまめに休憩を取るようにした。

きょうの私は、“心のヘルプ”をうまく受け取ることができた。外の世界の変化が劇的でわかりやすかったし、最近の「書く習慣」によって、自分の心に目を向けることが癖づいていたから。

だけど変化は劇的なものばかりではない。

ゆるやかな変化が続くなかで、心が小さくざわついていることに、私は気づけているのだろうか。


自分自身を客観的にみることを、「メタ認知」という。

すこし難しい言葉で説明すると、主体となっている私を、客体として見ることだ。考えていることを考える。感じていることを感じること。

「メタ認知」を、知ること、やってみること、わかること、できること。それぞれの間に壁がある。「できる」ために必要なのは、立ち止まること、だと思う。

家族や友だちと話が盛り上がったあとや、仕事に集中したあと。Twitterのタイムラインを眺めたあとに。

ぼーっとしたり、数分前の出来事を振り返って、思い浮かんだことを紙に書いてみる。外の世界から刺激を入れることを止めて、内側の世界に目を向けてみる。

自分が受け取ったものをじっくり味わう。

こうやって立ち止まり「味わう」時間が、メタ認知していることであり、心の小さな機微を感じていることなんじゃないかな、と思った。


大きな変化に適応するために耐え忍ぶことも、小さな変化を受け取りいなすことも。生きやすくなるために欠かせないスキルなのかもなあと思いました。

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