わからないことをわからないまま味わう
歴史を面白く学ぶコテンラジオ、みんなの才能研究所「みんラボ」に続いて。深井 龍之介さんがパーソナリティをしているポッドキャスト、「超相対性理論」を聞きはじめた。
具体と抽象を行き来しながら、一つの事柄を、さまざまな角度と尺度とから見つめる。すると、同じものも、少し違って見えてくる。
観測点や参照点を増やすことで、知と知を星座のように結びつける。浮かび上がる新しい星座について、みんなで語りあい、考える。
それをなぜか、「超相対性理論」と名付けました。
——ポッドキャスト「詳細情報」より
聞いていて印象的だったのが、3人とも頭の回転が速いことと、知識の引き出し・引用力が圧倒的なことだ。“頭がいい”って、こういう人たちのことを言うのだろうな、と思った。
超相対性理論のなかで、シリーズを超えて出てくるキーワードとして、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉がある。
反対の言葉である「ポジティブ・ケイパビリティ」が、問題解決を素早く行なったり、打ち合わせで議論をスムーズに進めて合意形成するような力、なのに対して。ネガティブ・ケイパビリティは、わからないものをわからないまま咀嚼する力のことを指す。
すぐに答えが出ないものに対して、無理にすぐに答えを出さないこと。とも言えるかもしれない。哲学者のエトムント・フッサール、及び、現象学で扱われる「エポケー」の考え方にも近そう。
で、今日、これがネガティブ・ケイパビリティなのかも、と思うことがあった。
コテンラジオで「三大宗教」についてのエピソードを聞いていたとき。2回3回と聞くのを重ねるごとに、理解が深まりつつ、わからないことをわからないまま受け取れる器が広がっているような感覚があった。
人に教えられるほどの理解度ではない。し、パズルのピースが少しずつ増えてはいても、まだ完成には遠い状況だ。けれど、その中でわからなさを面白がっている自分がいたのだ。
わかるって楽しい。わかるとスッキリする。わからないことは、もやもやする。悶々とする。
私たちは安定することを自然と求めているから、ついつい、わかってスッキリしたくなってしまう。だけど、わからないことをわからないままに味わうからこそ、見える景色やたどり着ける場所もあるような気がする。
情報が溢れる時代だからこそ。あえて立ち止まって、もやもやするのもいいかもしれない。
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