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「叶え組」の私の生きる道。

これと言ったやりたいことのない「叶え組」の私は、紆余曲折を経た人生を歩んできました。

大学で法律を学び、ITの会社でシステムの設計や開発に取り組み、いまは笑顔を創ることをビジョンとする会社で整体師をしています。

「何をするかより、何を大切にするか」の意味が腹落ちして大切にしたいものの欠けらが見つかったのは最近のことです。

気がついたら27才も残りわずかで、焦りも感じているのに、キラキラして見えるきっと素敵な何かに目移りして目の前のことに集中しきれず、ふわふわと軸の定まらないこの状態は改善されるのでしょうか。

自分のやり抜く力の低さとそれによって生じる調子の波の高低差には、もううんざりです。

だからなのか、私が持っていない夢中になる能力とやりたいことがある「夢組」の人への憧れは強くなる一方でした。

小さな出来事をきっかけに遠い未来への夢を描き、それに向かって歩んでいく。一つのことに深く没頭して、夢中になって突き詰めていく。

それは、「叶え組」の私からみたらすごいことなのですが、「夢組」の人にとっては自然で普通なことなのだと思います。

ほぼ毎日noteを更新して「私の「やりたいこと」の話をします。」という記事で小売の仕組みを変える夢をクリアにリアルに描く最所あさみさんは「夢組」の人の典型で、私の書くことへのスタンスを大きく変えてくれた人でもあります。

あんな風に強くたおやかに生きるには、物事を冷静に分析することと、自分が感じたことを言葉にして顕在化する力が必要なんだろうなと思います。

「叶え組」の私たちは「夢組」の人の情熱溢れる言葉にグッと心を掴まれて、ときに思わぬ方向に流されてしまいがちですが、自分のコンパスを持たずに流されていてはいつまでも行きたい所へ辿りつけません。

「夢組」と「叶え組」という世界の分類と出会い、自分のなかで混在していた「なれないうらやましさ」と「なれる気がする憧れ」の住み分けがハッキリしたので、「叶え組」の私の生きる道を、じっくり考えたいと思います。

目の前の仕事に向き合うだけでなく、できることを少しずつ増やして。

自分の心地よさを大切にしながら人に喜んでもらえる叶え人でありたいと思います。

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